A党は少数派だが、まず共産主義内の各派をまとめあげ党勢を拡大。続いて社会主義の中で共産党に近い左派に近付き、影響力を行使し、場合によっては吸収合併する。次第に、触手を社会主義右派→民主主義左派とのばし、国政の中で発言力を急拡大。政情や軍部との関係次第で、政権を支配するに至る。
参院選をめぐる野党共闘をほうふつさせる。日本共産党は当初《国民連合政府》を樹立し、政権掌握までの間合いを詰めようと謀った。真っ先に狙われたのが、思想・理念でまとまりを欠く寄せ集めの民進党だった。
さすがに、民進党内の保守派は「シロアリみたいなもので、協力したら土台が崩れていく」と強く警戒した。そこで、ソ連が支配した東欧各国同様、「反ファシズム」を意味する「反アベ」「反安全保障関連法」など「共有できる政策」を提案した。同時に、自衛隊を「時限容認」して、民進党をおびき寄せ、抱きついた。
あとは簡単。思想・理念・政策共に「親戚筋」に当たる社民党や生活の党などと選挙共闘を組んだ。
民進党が渡ったのは「ルビコン川」ではなく…
共産党関係者には、言葉を継ぐほど、何をいわんとしているのか「支離滅裂」になる特性が認められる。普通なら、正体が隠れるのだが、あら不思議。「支離滅裂」の蓄積で、やがて「理路整然」とした正体が見えてくる、とは。
自衛隊を憲法違反と位置付け、自衛隊の解消+日米安全保障条約破棄を明確に打ち出す共産党に抱きつかれても、手をほどこうとしない民進党。ついに「民共合作」で「ルビコン川を渡った」。いや、後戻りできぬ状況というより、崩壊への序曲か。自死への一里塚であるのなら「さんずの川を渡った」ことになる。