正式な史料はないが、断片的な記述と口述を総合すると、創業以前は、織田信長の御用商人を務め、絹や麻を取り扱っていた。屋号の「永楽屋」の名は、通貨の中でも高品質で安定した「永楽通宝」を好んで旗印に使用していた信長から「永楽通宝のように良質のものを扱う店になれと拝領された」(十四世)という。
時代が豊臣から徳川へと移り、日本でも綿が定着すると絹布商から木綿を扱う綿布商に業種転換し、京都の三条通に創業した。そして一世、細辻伊兵衛以降、伊兵衛を襲名するようになった。初代は忠臣蔵の大石内蔵助とも交流があったというから、幾度となく歴史の表舞台と関わってきたのだろう。
手拭いは江戸時代には庶民の生活に欠かせないアイテムだった。当時の浮世絵などには、姉さん被りをした女性やいなせに肩に掛ける若い衆などが描かれる。明治ごろまでは商いの主軸は綿の着物用の反物だったが戦後、洋装化で綿の着物の需要が減り、商いも不調に陥った。その後、主軸を当時としては珍しかったタオルに変換したが、ライセンスブランドを持たなかったことなどから業績が悪化し、債務超過となった。