日本側が早期運用を要請していた、偶発的衝突を避けるための日中防衛当局間の「海上連絡メカニズム」に関しては、事務レベルで作業に入ることで一致した。歴史問題では、習主席が日本が過去の戦争の謝罪と反省を表明した村山談話に言及。首相は「歴代内閣の歴史認識の立場を引き継いでいる」と答えた。
「静かな努力を重ね」
日中首脳会談の実現に向け、首相は今回、周到に準備を進めてきた。会談後には同行記者団に「首脳間の対話をスタートするため静かな努力を重ねてきた」と語った。
首相は12年12月の第2次政権発足以降、日中首脳会談の時機を探っていた。しかし、中国側は首脳会談の条件として靖国神社参拝や尖閣諸島の領有権をめぐる日本側の譲歩を要求。前提条件なしで会える機が熟すまで首相は粘り続けた。
首脳会談実現の地ならし役の一人が、首相の信頼が厚い谷内(やち)正太郎国家安全保障局長(70)だった。水面下の交渉のために北京に飛び、カウンターパートの楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に、よう・けつち)国務委員(64)と膝を突き合わせ、4項目の合意文書をまとめ上げた。