自身は米国で創業したベンチャーキャピタリスト。だが、米国流の株主の利益を優先する経営ではなく、「公益資本主義」を提唱し、注目されている。従業員や地域社会などにも貢献することで、企業価値を引き上げる考え方だ。
子供の頃、よく信太郎さんに連れられ、コクヨを見学した。高度経済成長期で、工場は残業続き。当時、出始めた冷房器具を、信太郎さんは重役室ではなく、まず工場から設置した。
「暑い中で残業すると、注意が散漫になって機械で指を切り落としたりする人がいる。そうならないようにするのが会社の役割だ。そういうことは会社に返ってくる。不良品が出にくくなって会社の利益率が上がるんだ」と教えられた。
中学では校則の丸刈りに反対し、ただ一人、髪を伸ばした。信太郎さんは「納得できない校則があるなら、いっそのこと、全部破ってごらん」。個人主義と自由主義は父親譲り。「自分で考えて決めたことを堂々とやり通せるのは父の影響です」。丈人は本名。海外に行っても覚えてもらいやすく、日本人でも通用する名前を、との思いが込められている。(寺田理恵)