信太郎さんの仕事は文具メーカー、コクヨ(大阪市東成区)の技術部門の責任者。製造の自動化を図り、300を超す特許を取得して高収益化に貢献した。米国の列車自動運転管理システムから着想し、世界初の立体自動倉庫も開発した。
「人生は楽しむためにある。自分のために便利な機械を考案し、会社に貢献する。自分は楽をする」と考えていた信太郎さん。海外出張に行くと鉄道に乗車し、資料を収集した。製作した模型機関車は約1500台。購入した模型も含め、約6千台を所蔵する。
ところが、信太郎さんは中米へ出張する機会がない。父の代わりに鉄道を調査する目的で、19歳のときに出掛けたエルサルバドルで、マヤ文明遺跡のピラミッドに魅せられた。中米考古学の研究資金をつくるため、米シリコンバレーで光ファイバー・ディスプレー開発会社を起業。その後も情報通信分野の技術を開発する企業を育ててきた。