バリバリの都会っ子の脇田さんは、東京の大学を卒業してから都内の出版社に勤めた。経済誌の記者として国内外を飛び回る取材活動をしていた。そこに2011年3月に東北の大震災があった。
それまで商社を担当していた脇田さんも、多くの同僚と共に東北への取材に駆り出されるようになる。農業や漁業にかかわる人たちとの会話は、人生初体験である。
世間から「東北の食材は安全なのか?」と問い詰められ、生産者たちからは「私たちの作ったものを、なぜ信頼してもらえないのか?」と訴えかけられる。そのはざまに立ち、食について何も知らない自分に愕然とする。
震災からちょうど1年を経た頃、社会人になって6年目、総合的に食を勉強してみたいとの意欲が芽生え、世界中の大学を調べてみた。そうして見つけたのが、ブラの大学だった。スローフード運動に関心があったわけではない。米国への留学経験があったが、欧州は初めての土地だった。経済誌の記者としては、南米やアジアのビジネスに興味があったので、イタリアの存在など頭の中になかった。
食科学大学で農家のことを知り、自分でも畑で作物を育てるようになる。スローフード協会という団体は欧州委員会へのロービー活動に熱心である、ということも知る。原産地呼称が法律的により厳しくなったのは、スローフードの活動が影響している、という。
ぼくは、前々から知りたいことを聞いてみた。
スローフードの活動をしている人たちは、ソーシャルデザインという言葉を使っていないようだけど、どうして?と。十分に社会のあり方を変えていると思うのだけど。