娘と暮らしたのは、たった2年間
わずかではあるが、大谷さんにとり、珠玉の時間も流れた。たった1回、一緒に過ごした小学5~6年生の2年間。電子情報支援隊副長で陸(おか)勤務だったおかげで、官舎で暮らせた。もっとも、「娘に『学校に行くときは、コレとコレを持っていくの』と教えられる日々」。大谷さんといえば「クラス、何組だったっけ、と聞く始末だった」。
中学1年生になった今年、長野県内の中学校で寮生活を始め、週末に会うこともある。「国に役立つ仕事を目指してネ」と、大谷さんが求められるくらい、まな娘は成長した。
大谷さんが、横須賀基地内に海自初の託児所開設に奔走した「戦歴」を刻んだのは、苦しみ抜いた「戦果」といえよう。
海自幹部と母に加え、妻でもある。大谷さんは出産7年後に、防大同期のご主人と離婚した。
「海自幹部の夫も船乗り。互いに航海長だったりすると、片や入港、片や出港と、すれ違いの毎日でした。自衛官夫婦を同じ地方に転勤させる配慮を効かせる、今とは違う環境だった」
海自の自衛官4万2000人のうち、女性自衛官は2400人。2400人中、幹部(将校・士官)は300人。希望しても、女性幹部でふるいに残る艦長候補者は数えるほどで、極めて狭き門だ。