日本国憲法に失望する国民にはぜひ、中国憲法に触れてほしい。わが国憲法がまとも? に見える。何と、二章では《言論・出版の自由》を記載する。中国共産党の一党独裁下、言論弾圧が日常の情景である現実との乖離は笑止だが、《生存権》との関係を知れば笑えない。共産党にとり死守すべきは生存権で、その守護神が共産党。従って「命を保障してやるのだから、自由権ごときは我慢せい」という理屈なのだ。
実際天安門事件(1989年)では、自由権を行使した無辜が生存権を奪われ虐殺された。凶暴性に加え、人としての常識を棄てないと悪鬼の蛮行は完遂できない。ただ常識を棄てると、自らの悪行が周りに知れていないと思い込む。例えば、国内外で広く知れ渡る治安維持に備えた西側思想遮断工作を、今さら「機密」扱いにしてしまう。それでも《安全》に《自信》がなく、裏返しとして《理論・進む道・制度》に関する《三つの自信》スローガンを強調。さらに米国など自由を要求する「異民族の侵入」を恐れ、南シナ海に“防衛識別圏”という「万里の長城」を造る。
習近平・国家主席(61)ら指導者は大哲であるかのような風格を装い、偉そうに儒者の格言を引くが、あらゆる種類の人権弾圧や侵略行為を試している。自由や国際秩序の順守なくば、永遠に安全を獲得できない真理を知らぬ独善は滑稽な分、狂信性を際立たせる。