【世界へ 日本テクノロジー】始動するF3計画(下)
■消えない「F2のトラウマ」
航空自衛隊の戦闘機「F2」の後継となるステルス戦闘機「F3」(仮称)の開発計画が具体化するのに伴い、F3を純国産機とするか米国などとの共同開発機とするかの議論が本格化する。国内の防衛関係者の間には、1980年代に日米間で起きた「次期支援戦闘機(FSX)」をめぐる摩擦の記憶が根強く残り、日本のF3開発方針に再び米国政府が介入しかねないと懸念する声も出ている。
こじれた対米関係
「(日本が戦闘機開発を)単独でやるとなると、米国が気にするだろうから。なかなか現在では見通しが付かない。日本の政治だけでは決まらない」
F3開発が正式に決まった場合に主契約企業になるとみられる三菱重工業の大宮英明会長の言葉には、歯がゆさがにじむ。
日本の防衛関係者の間には「F2のトラウマ」と呼ばれる苦い記憶がある。「F1」に次ぐ戦闘機開発方針をめぐり日米関係がこじれた「FSX(後のF2)紛争」だ。
政府や防衛産業の関係者は純国産を目指したが、米国の意向を受けて頓挫。87年6月に米戦闘機「F16」の機体をベースに共同開発することでいったんは合意。共同開発の枠組みは守られたものの、その後、米国側が合意内容を破棄して日本に「不平等条約を押しつけた」(関係者)という経過をたどり、日本側関係者の中に抜きがたい対米不信感が植え付けられた。
元防衛省航空幕僚長の田母神俊雄・次世代の党副代表は「当時、米国は日本に国産開発をやらせまいと猛烈な圧力をかけてきた。日本が(FSX問題をめぐる米国の調査団に)示した1650億円という開発予算に対しても『こんな少額でできるわけがない』とイチャモンを付けてきたほどだ」と振り返る。