【続・灰色の記憶覚書(メモ)】
iPhone6が発売された秋頃、私の周りでもやっぱり多少は色めきだって、現在iPhone5sを使用しているけれど、やっぱり6へ乗り換えようかしらんとか、これを機にAndroidからiPhoneに切り替えようかしらんとか、便器に落としたiPhone4がやっぱり使い物にならなくなってしまったので、けれど6はまだまだ高級品だからあえて5くらいで収めておこうかしらん、などなど、とにかくそこら中に、ロクロクした空気が蔓延(まんえん)していた。
しかし私の中では、けれど今度7が発売されたときにはどうするのだろうという疑念ばかりが浮かんでしまう。定期的に発表される新作にいたずらに群がってゆくさまに、このままじゃあ何番まで追い続けることになるのだろうと思うと少々興ざめしてしまい、私自身もiPhoneを愛用してはいるものの、何となく先々むなしいというか、商売に飲まれているような、資本主義の大波の中に在るような気がして、もはや種類も少なくなったあのパカリと開く携帯電話の方が、落ち着いた心持ちがするのではないだろうかということを考えたり、いっそこうした通信機器を持ち歩かない方が身体的にも精神的にも健康なのではないだろうかと考えたりしている間にもメールが届いたり何だりして、こうした便利さを放棄してしまえるほどの決意はなかなかのものだと溜息をついたりしている。このまま私もiPhone23とかを手にしてゆくのだろうか。