他方、文字だけに活路を見い出そうとする純文学は、しだいに業界の内部で煮詰まるようになり、売り上げ的にも、新たな展望のうえでも苦境に立たされている。少し目につく書き手がいるかと思えば、たいていSFやミステリーが開発してきた手法の力を借りている。また本展の監修者のひとりである筒井康隆のように、大衆小説の権威である直木賞の候補に何度も挙げられながら受賞を逃し、しかし気がつけば純文学の最後の砦(とりで)を画するようになった者もいる。
簡単に言えば、本展のような展覧会が文学館で開かれるようになったということ自体、純文学とSFとの垣根が壊れ、むしろ後者の方が優勢になっている現状を反映する出来事なのだ。冒頭で「やや入り組んだ画期性」と書いたのはそのためだ。