しかし当初は、琳派の象徴ともいえる金をあしらった商品を量産してビジネスに結びつけようとする世間の風潮に「ちゃらちゃらしてる」と懐疑的だった。だが、琳派について調べるうちに、権力者や為政者が抱え込んだ“御用達”などではなく、技法や画題にタブーもなく、面倒くさい師弟関係など存在せず、町衆が生活の中で自由に育てた芸術だということがわかった。
「カッコええなあ。僕が考えているのと一緒やな」。キーヤンは、額縁に収まらず街中で誰もが楽しめるような絵を描き、美術館に飾られるような絵を描くことを好まない。既存の権威や価値観から離れ、自由闊達(かったつ)で独自の表現を本領とするキーヤンと琳派が重なった。
また、キーヤンは日本のロック黎明期(れいめいき)に35年にわたりロックのイベントプロデューサーとして活躍してきた。
ロックやポップスは常に大衆とともにあり、何千回何万回と歌われ聴かれて育っていく。「琳派と同じや」。こうして、キーヤンの絵と琳派とロックが結びつき「繪舞台 琳派 ロック」というタイトルが誕生したのだ。