もともと与論島から大阪に就職し電子機器製造販売を行っていた玄さん。IT関連の仕事は場所を選ばない、むしろ自然に囲まれた良い環境で、広くアジアにまで市場を見据えた仕事をしようと故郷にUターンすることを決めました。当時、海洋深層水が注目を集めるようになり、沖縄でも大規模なプロジェクトが立ち上がろうとしていました。そんな中、海洋深層水を化粧品原料として研究し始めていた化粧品会社と出合います。アトピー治療の海洋療法に訪れる人もあるという与論の海。その海域で取水される深層水は清浄性が高く、皮膚の代謝に欠かせないミネラルを豊富に含むため、化粧品への応用は理にかなったもの。太古の水が海の深淵部を何万年もかけ巡り湧き上がる「湧昇」は、栄養に富み、魚たちが集まる地点。魚群探知機の開発なども手がけたことで、地元漁師の信頼も厚く、どこの海域に魚が集まるのか、海底のレイヤー(地図)も手に取るように把握していた玄さんは、最高のアドバイザーだったのです。一緒に仕事をする中で生まれた「塩」は、自然の恵みを余すことなく使い、健康に貢献でき、暮らしを豊かに彩るものをと商品化されました。現在は息子の圭史さんが中心となり、工場で海洋深層水の加工を手掛けています。