全面核戦争の恐怖
米国は1961年1月、キューバ革命(1959年)を経て成立したフィデル・カストロ政権が社会主義化を進める中、米系資産を全面接収したことを受けて、キューバに断交を通告した。61年4月には、ケネディ政権下の米国の支援を受けた反革命部隊が武力侵攻したが、失敗。62年2月、米国は対キューバ全面禁輸を発動した。対立がエスカレートする中、62年10月、米国はソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設中と発表、ミサイル撤去を求めてキューバを海上封鎖するキューバ危機が起きた。結局、ソ連側が折れて基地建設を中止して撤去したが、ソ連船が一時カリブ海域に接近するなど、人類は全面核戦争の恐怖を目の当たりにした。
オバマ大統領は声明で、「過去約50年間の米国による(キューバに対する)孤立化政策は結局、効果がなく機能しなかった」と述べ、関与・融和政策にかじを切る必要性を強調した。米国はブッシュ前政権下で経済制裁などを強化したが、オバマ政権は人権状況の改善などを条件に対話を模索していた。