縁浅からぬ地で抑留
ところで、サッカーの独代表は15日、祖国に凱旋。無数の独国旗はためく中、40万人以上の祝福を受けたが、国旗を体に巻き付けた選手は印象的だった。大戦劈頭の39年、滞在先のアルゼンチンにおいて軍艦旗を身にまとい拳銃自決した独海軍士官がいた。ハンス・ラングスドルフ大佐(1894~1939年)。英国艦隊と交戦し、自艦が継戦能力を失ったため、当時中立国だったウルグアイの港に退避した。だが、英艦隊に港湾封鎖を受け自沈させる。乗組員を収容したのが、まだ中立を掲げていたアルゼンチンの海防艦だった。大佐の妻宛遺書にはこうある。
《名誉を重んじる指揮官なら艦と運命を共にするが、部下の安全確保に奔走すべく、決断を先延ばしにした》
最期に体を包んだ軍艦旗は、ナチス・ドイツの国旗・ハーケンクロイツ=逆鉤十字をあしらっていない独帝国海軍時代のそれだった。敬虔なキリスト教信者だった大佐はナチスを嫌がった。葬儀には地元の独人や亜国民が大勢参加した。
結局亜政府は、大佐の希望だった乗組員の本国送還を却下し抑留した。ただ、乗組員はアルゼンチンという縁浅からぬ地で比較的温かい抑留生活を送ったと思っている。大佐を「臆病者」と罵り、遺族にも十分な年金を与えなかったアドルフ・ヒトラー総統(1889~1945年)の仕打ちとは対照的に。(政治部専門委員 野口裕之)