アルゼンチンが国交断絶に踏み切るのは終戦前年の44年。ところが、国内の枢軸国派と連合国派の確執で政権は崩壊する。ペロンが副大統領となり実権を握るのはこの時。宣戦布告は枢軸国敗戦が迫り、国連という戦後国際秩序構築の青写真が出来上がっていた大戦最終年の45年、しかも3月下旬になってだった。
以上からも、ドイツやイタリアで逃亡生活を送っていたアイヒマンは、アルゼンチンを格好の隠れ蓑だと確信していたことは疑いない。亜入国後は独系企業やウサギ飼育に従事。その間の52年に家族を呼び寄せた。
イスラエルのモサド=諜報特務庁では地球規模で「ナチ逃亡戦犯狩り」を行っていた。ユダヤ系独人の情報で、アイヒマンがアルゼンチンにいる可能性を疑ったモサドは57年「リカルド・クレメント」という男の24時間監視を始めた。だが、決め手に欠けた。
悪魔にしては小心翼々として用心深いこの男は60年3月21日、花束を買う。25回目の結婚記念日だった。モサドはクレメント=アイヒマンと確信した。モサド工作員はアイヒマンを薬物で眠らせ、偽装を施し、亜独立記念日式典に参加したイスラエル政府関係者の帰国用国営航空機に乗せた。亜情報機関はクレメントの正体を知っていたようだが、黙認したのか、間隙を突かれたのかは判然とせぬ。