神武東征の際、再び出会ったのが、熊野の大斎原(おおゆのはら)だったそうな。
そこは川が二股に分かれる中洲にあり、水害で現在地に遷座されるまで、熊野本宮大社が建っていた。
ふと下鴨神社(賀茂御祖(みおや)神社)を地図上で見て驚いた。下鴨神社も、賀茂川と高野川の三角州、同じような場所に位置していたのだ。二股はいにしえの時から意味のある重要な場所。
もし建角身命(たけつぬみのみこと)がこの地を訪れているとしたら、この地形を見て、さぞかし感慨深かっただろうと、歴史的空想に思いを馳せてみたりした。
下鴨神社で最も有名な祭といえば5月15日の葵祭(あおいまつり)。下鴨神社からのご依頼で昨年、「社頭(しゃとう)の儀」の代表参拝を務めさせていただいた。
葵祭に先駆けて、(5月)12日には御蔭祭(みかげまつり)という神事が行われる。