ある長い年月の経験を積んで分かるのは、実はどの分野においても案外同じようなことを考えた蓄積があり、その表現方法、つまりは言葉が違う、ということだ。
ある分野に身を投じるとは、その分野の表現の仕方に馴れる、という意味でもある。それでもどの分野においても共に通じることはあり、それらは一般的な言葉であり、「その上に載っている」言葉に特殊性がある。
これらの「上に載っている」層で、同じ言葉を使っていても分野が違うと別の定義になる、というシーンにも出会う。これが特殊性の一つだ。もう一つは、その分野にしかない、どうしてもその特殊な言葉を使わないと表現できない、という場合である。
さてインフォグラフィックの先生は、「もともとぼくは建築を勉強したが、三次元の理解の仕方がこの分野にも役立っている」と語った。
建築をやった人は、2つのプラスの点をよく指摘する。三次元の理解と、ゼロから100まですべて関わることによる全体の把握に自信がある、と。
建築家ではなくてもすべてに関与する仕事はたくさんある。が、人が活動できる空間を確保するための構造を成立させるために苦労した建築家の経験は、応用がききやすいと説明する「元建築家」は少なくない。
実際、ミラノで起業家と話していても「実は、建築家だった」と告白(?)されることは珍しくない。かつての高度経済成長期、建築ラッシュで建築家が多く求められたことがある。エンジニアリングとアートの両方をカバーする領域に魅力を感じ、建築家を希望する若者が急増したという。