会長となった西田氏は佐々木氏に業績向上を強く求め、会議の場で経営への不満を公然と口にすることもあった。東芝の有力OBは、「財界総理への執念が業績への強いこだわりにつながった」と語る。東芝の利益至上主義は、ここから始まったとみられる。
一方、佐々木氏は西田氏への反発を強め、2人の関係は急速に悪化。反発からか、佐々木氏は現場に予算目標の達成の圧力を強めていった。毎月、各カンパニーのトップが社長に業績の進捗(しんちょく)を報告する「社長月例」と呼ばれる会議で部下を怒鳴り散らす光景が当たり前になっていったという。
当時、社長月例に同席していた幹部は「完全に狂っていた」と証言する。報告書の中でも、パソコン事業の担当者に対し、3日で120億円の営業利益を求めるなど無理な要求を行っていたことがわかっている。
社内では佐々木氏の圧力が問題視され、その悪評が西田氏に伝わり、事実上、社長を更迭された。当時副社長だった田中氏との交代会見では西田氏と佐々木氏がお互いを批判し、2人の対立は公となった。西田氏は会長ポストを渡さず、佐々木氏は異例の副会長となった。