その間、軽を黒字化するプロジェクトが何度か立ち上がった。だが「アコード」「シビック」の輸出で高収益を上げていた社内では軽の赤字を軽くみる風潮が抜けず、プロジェクトはことごとく立ち消えていった。
こうした空気を一変させたのが、08年秋のリーマン・ショックだった。円高の進行で稼ぎ頭だった登録車輸出が赤字に陥る一方で、国内では軽市場が拡大。軽に力を入れていなかったホンダのシェアは落ち続けた。
「軽・スモール車重視に事業構造を改めろ」。09年6月に社長に就いた伊東孝紳の大号令が飛んだ。市場は軽・スモール車に着実にシフトしつつある。ホンダが崖から転落するか否かの瀬戸際といってよかった。浅木が軽の「再挑戦」を命じられたのはそんなときだった。
なぜホンダの軽が売れないのか、どうやったら他社に勝てるのか、浅木は当たり前のことを調べ上げることから始めた。ただ、チームで他社の軽と乗り比べても「技術的な感覚でいうとホンダの軽が一番良かった」。