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「歌曲王」の作品、魅力探る 夭折の天才 シューベルト再発見 月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」8月号

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「歌曲王」の作品、魅力探る 夭折の天才 シューベルト再発見 月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」8月号

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シューベルトの友人たちの「シューベルティアーデ」はサロンで開かれた(Julius_Schmid作、1897年、提供写真)  わずか31年の人生で約1000曲もの作品を作曲したウィーンの作曲家シューベルト。歌曲「魔王」や交響曲「未完成」など多くの作品が今日もひんぱんに演奏されている。月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック8月号」は、シューベルトの生涯と作品の魅力を探る「夭折の天才 シューベルト再発見」を特集している。

 「魔王」など600曲超

 中学の音楽の授業で、ゲーテの詩にシューベルトが作曲した歌曲「魔王」を習った読者もいるはず。父親と一緒に馬で帰る子供が、「お父さん、お父さん、魔王がいるよ。見えないの?」と怖がり、たどり着いたら息絶えていた、という内容で、音楽と相まって、その怖さに打ち震えた人もいるだろう。

 このほか、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩による歌曲集「冬の旅」と「美しき水車小屋の娘」、そして「白鳥の歌」の3大歌曲集をはじめ、「野ばら」や「アヴェ・マリア」など歌曲だけで約600曲も作曲、「歌曲王」と称されている。

 シューベルトは1797年、ウィーン近郊のリヒテンタールで生まれた。父親テオドールはモラヴィアの農家の出身だが、補助教員からこつこつと働き、初等学校の校長に上り詰めた。父親の手ほどきで音楽をはじめ、才能を認められ、宮廷直属の全寮制神学校コンヴィクトに入学する。ちなみに、入学を推薦したのは映画「アマデウス」でモーツァルトを毒殺した(もちろんフィクション)宮廷楽長のサリエリだった。

 有能な官吏や芸術家を輩出したコンヴィクトでは、少年合唱隊員として宮廷教会で合唱する義務を担う。これが現在のウィーン少年合唱団の前身だ。このコンヴィクト時代の友人や、シューベルトの音楽を愛する人たちで作られたグループが「シューベルティアーデ」。シューベルトの作品はもっぱら、ディレッタントが集まるシューベルティアーデで発表された。

 交響曲「未完成」の謎

 ところで、オーケストラのレパートリーとして人気の高い交響曲第7番「未完成」。本人が付けたわけではないが、「未完成(英語ではアンフィニッシュド・シンフォニー)」というタイトルが意味ありげに想像力をかき立てる。

 この時代の交響曲は通常4楽章形式だが、「未完成」は1楽章と2楽章しかない。3楽章のはじめだけオーケストラが書かれ、残りはピアノ・スケッチになっている。なぜ、シューベルトが創作を放棄したのかは、長い間論争になっている。「未完成」は2楽章でも完成度が高いために意図的に書くのをやめてしまった、別の作品を手がけて忘れてしまった、などさまざまな説がある。また3楽章はスケッチが残されているため、何人もの音楽学者や作曲家が補筆している。

 ところで、日本文学研究家のドナルド・キーン氏は、無人島に1枚レコードを持っていくとしたら、シューベルトの弦楽五重奏曲だという。戦時中の1942年にはじめてレコードを聴いてとりこになった。「その音楽の美しさといったら全く特別でした。今でもその思いに変わりはありません。何回聴いても、他の音楽にはないものを感じます」と話している。(月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」編集長 江原和雄/SANKEI EXPRESS

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