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書物を飾る「帯」たちの言い分 帯から読むか、パラパラめくるか 松岡正剛

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書物を飾る「帯」たちの言い分 帯から読むか、パラパラめくるか 松岡正剛

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ここにはぼくが帯コピーを頼まれたものばかりが並んでいる。これまで30冊ぐらいあったろうか(小森康仁さん撮影、松岡正剛事務所提供)  【BOOKWARE】

 日本の書物の多くには独特の「おつり」が付いている。「帯」である。ときに「腰巻」とも言う。最近では新書や文庫にも帯が付きものになった。海外ではあまりない。

 ふつう、書物はしっかりした本表紙があって一冊の本をくるむ。本表紙は製本上の強化にもなる。かつてはクロス(布)装が定番だったが、いまではほとんどが厚紙だ。そこにカバーが巻かれる。本表紙は地味なものが多いけれど、カバーは色も鮮やかで、ビニール引きやマットニス仕上げになっていることが多く、破れたり変色するのを防いでいる。写真もイラストもよく使われる。

 だからカバーで書物のテイストはあらわされているはずなのだが、これでは書物の内容や狙いや著者のことを伝えられていないということで、帯が登場した。帯には大小のキャッチコピーがあしらわれ、訴求力や誇大化や脅しが加わる。「たちまち重版!」「日経で絶賛!」「泣きました!」などという煽りもする。つまりは、宣伝文句なのである。どうだ、この本は凄いぞという「これみよがし」なのだ。

 帯には、推薦者の名前や推薦の言葉が入ることがある。ぼくはしばしば帯の推薦文を頼まれてきた。短い言葉でオマージュを書くのだが、なかなか難しい。あまり誇大には言いたくないし、といって地味でも難解でもダメなのだ。最近は「松岡さんの筆跡のままのせたい」という注文もふえてきた。

 帯の文化は悪くない。その本の狙いを版元や担当編集者がどのように見ているのか、よくわかる。ただし店頭で読めなければ意味がないので、細かい芸当は出しにくい。だからその風情は、まさに日本の着物の帯や半襟や羽織のような印象にも当たるのだ。

 その一方、帯に頼らなければ売れなくなってしまった出版文化には問題もある。帯の文句が粗製乱造になり、読者にメッセージが伝わらない。学術書の帯など、とくに工夫がない。「知」を鮮やかに彩るための言葉が払底してしまっているのである。電子書籍時代、あらためて「帯のバロック」の胎動を期待する。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/撮影:フォトグラファー 小森康仁/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/

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