ニュースカテゴリ:EX CONTENTSトレンド
オートバイに命も哲学も人生も託した話 あの頃の『禅とオートバイ修理技術』 松岡正剛
更新
ぼくは二輪も四輪も、むろんパイロット免許もダイビング免許もお菓子づくり免許も、免許という免許はすべてもっていないのだが、オートバイだけには、子供の頃に袈裟を着た坊さんが単車に乗っているのを見たときから、やたらに憧れてきた。ジェームス・ディーンの映像が脳裏に焼き付いたからかもしれない。とくにアラビアのロレンスのオートバイ熱を知ってからは(そしてその最後に乗っていたクラッシュ・オートバイをロンドンのロレンス展で間近に見てからは)、「よし、ぼくも70歳を過ぎたら爺さん暴走族になろう」と思うようになっていた。
オートバイは生と死が「人機一体」となっているところがきわめて精神的であって、また官能的である。縁あって、本田宗一郎、ホンダの設計者たち、レーサーの片山敬済、青春オートバイ派の平井雷太や藤本晴美、大鼓打ちの大倉正之助、ヤマハのデザイナー石山篤といった極上の単車派とも昵懇(じっこん)になって、その生きざまに接することができたのだが、かれらから受けてきた「一途」なものも、あきらかにオートバイがもつ「高速で危険で甘美な宿命」と深く関連しているように思われた。
ロバート・パーシングの分厚い『禅とオートバイ修理技術』はとても変わった本だった。ぼくはこれをバークレーの書店で見つけ、和訳版の序文で著者のその後の周辺の変貌を知った。変わった中身については下欄を読んでいただくとして、おそらくオートバイ好きにはたまらない一冊だろうと思う。
オートバイの精神を描いた本には、ほかにマンディアルグの小説『オートバイ』、片岡義男の『彼のオートバイ、彼女の島』、プロック・イェイツ『ハーレー・ダビッドソン伝説』、斎藤純『ツーリング・ライフ』などいろいろあるが、映画ならやっぱりケネス・アンガーのアングラの傑作『スコピオ・ライジング』とニューシネマの先頭を走ったデニス・ホッパーの『イージー・ライダー』だろう。いずれもいまや懐かしい。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)
パーシングは電気ショック治療のせいで記憶を喪失していた。それまでは理学部の大学教授だった。あるとき、妻シルヴィアと11歳の息子クリスと友人ジョンとともに、4人で長いオートバイ・ツーリングをしようということにした。
旅とキャンプと会話とオートバイ・メンテナンスを通しながら、自分の記憶が失われる前の自分をパイドロスと名付け、そのときの精神的な世界を徹底して辿(たど)ろうと決意したのだ。本書はその時々刻々のドキュメンテーションだ。
ツーリングの途中でしばしば「シャトーカ」を試みた。19世紀アメリカの各地で開かれていた教育と娯楽を兼ねた野外講演会のようなものだ。パーシングはパイドロスに戻りながら、何度も「クオリティ」とは何かということを問う。機械修理のクオリティも、家族や社会の狭間にいる自分の心のクオリティも。
やがてパーシングは禅が試みてきた「無の拡張」こそが、人生にもオートバイにも肝要だと気がつく。ところが本書刊行の5年後、息子のクリスが殺された。和訳本にはそのことを綴る序文がついている。それを含め、本書はいまなお燦然(さんぜん)と「心の暴走族」とは何かを問い続けている。
石山篤はGKデザイン研究所のメンバーで、ヤマハのモーターサイクル・デザイナーである。GKダイナミックスのリーダーでもあった。ぼくが仕切ってきた織部賞のデザイン部門にも輝いた。
本書はその石山篤を中心としたグループがまとめたオートバイの究極の美と機能をめぐって構成された一冊で、すばらしい。1989年に刊行された。『人機魂源』は“MAN-MACHINE=SOUL-ENERGY”の四字熟語化だ。
このチームの哲学は「ミッション(使命)をトランス(変革)していく」ことにある。そのために、すべての部品のミニマリズムを追求する、メカニズムを生態系と捉える、人がまたがる感覚と機能から極限の美を見いだす、ダイナミックフォルムを描き出す、といったテーマを詰めてきた。
石山はそこにさらに「棒族」と「器族」という2つの両極の機能と造形から官能や耽美が生み出されるべきだと考えた。棒族は剣や刀がもつ凄み、器族はシリンダーや陶芸がもつ美しさのことだ。
本書には山口昌男による「オートバイはイコンである」説、養老孟司による「オートバイは命である」説などのエッセイも寄せられている。ぜひともネットや古本屋で発見されるといい。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)