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灼かれるような日々を過ごしてみたいなら… 本音の言葉を放ちつづけた鈴木いづみを読みなさい 松岡正剛
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開高健が19歳の才能に驚いた。田原総一郎も好奇の目で見た。若松孝二は映画にしたくなっていた。ビートたけしは対談にびびった。寺山修司は舞台女優にしそこねた。鈴木いづみのことだ。
そのころ鈴木いづみについては、伊東の市役所でキーパンチャーをしていた17歳の少女が上京し、ホステスやヌードモデルやピンク女優などをしながら、「小説現代」新人賞の次点になり、「文学界」新人賞の候補になり、どうも足の小指を切ったらしいといった噂しか知られていなかった。1970年代のことだ。
そのうちアルトサックスの天才阿部薫と同棲し、一女をもうけるのだが、78年に阿部は29歳で急死した。鈴木はそのあと10年ほど小説やエッセイを書いて異質な脚光を浴びていたのだが、たくさんの噂に包まれたまま、86年に36歳で首吊り自殺した。
語録が残った。「孤独じゃなければ奇人になれない」「私の前に誰も立つなよ」「色情狂になるなら美人でいろよ」「深刻ぶっている連中には本物の不幸なんてない」「加藤登紀子が生きてりゃいいさなんて歌ってると死にたくなるよ」「ミック・ジャガーもデヴィット・ボウイも小物だね」「自分をおおげさに考えるあの自意識が大嫌い」「誰もがヘンタイになっている」「絶対の真理? そんなものあるはずないじゃんか」「私は誰も一生アイさない」「ホモの雑誌は低能だよ」。
こんなふうに紹介すると、スキャンダラスで不可解な日々を疾駆した才気煥発な官能作家の勝手な呟きだったかのように思うかもしれないが、そうじゃない。作品や文章を読めばたちどころにわかるように、その飛び抜けた異才には、誰もがどぎまぎするほど揺さぶられたはずだ。少なくともぼくはそうだった。
いまやっと、鈴木いづみを本気で読む者がふえている。今日の社会の正体を見抜いた先駆者だったからだろう。本人は「私は夜の底をはだしで歩いている赤ん坊のようなもの」と自嘲気味に言っていたが、その実、70年代をおえた日本が「本物の才能をもつ者こそ喪失感に苛(さいな)まれる社会」になりつつあることを、鋭く喝破していたのである。
鈴木いづみ。その生涯がブックウェアそのものだった。こんなふうに書いている。「ことばが世界だ。私は意識が明瞭であることばの世界に生きていたい」。
「鈴木いづみが還ってきた!」という胸を衝くキャッチフレーズと荒木経惟(のぶよし)のモノクローム写真をピンクのカバーが包んで、『鈴木いづみコレクション』全8冊が刊行された。快挙だった。佐々木暁の装丁もよかった。中身は1が自伝的な長編『ハートに火をつけて!』で、解説が戸川純。2は開高健らを驚かせた初期の短篇を構成した『あたしは天使じゃない』で、解説が伊佐山ひろ子。戸川と伊佐山はさすがに鈴木独特のアンビバレンツな感覚をうまく綴っていた。
3『恋のサイケデリック!』はSFっぽいけれど、どこかアナーキーで投げやりな短篇6本で、なんと「明かるい篇」「暗い篇」に分かれている(解説は大森望)。4『女と女の世の中』はいまなおファンが多い処女SF『魔女見習い』や『カラッポがいっぱいの世界』など(解説は小谷真理)。特徴は心理を描写していないこと。あくまで描写を表面にとどめるところ。でも、改めて読むと、この時期のSF性は“仮縫い”だったことがよくわかる。
5『いつだってティータイム』(解説・松浦理英子)と6の『愛するあなた』(解説・青山由来)は、今日の女性たちに必読肝要効能抜群の2冊のエッセイ集。鈴木は毒舌の切れ味で知られてきたようだけれど、実際には直截にナイーブな感情を言葉にすることができる希有な人だった。これは少女マンガを男が描けないのと同様、男にはゼッタイできない芸当なのだ。ちなみに鈴木はアタマの悪い男、教養から見放された女の、両方が嫌いだった。
7『いづみの映画私史』(解説・本城美音子)は映画や俳優のことを綴っているようでいて、時代社会を切り捨てていくエッセイで満ちている。8『男のヒットパレード』(解説・吉澤芳高)はビートたけし・岸田秀・嵐山光三郎・近田春夫らの男たちとの対話が中心。なかでも阿部薫についてのエッセイ、切断した左足の小指をめぐって佐藤愛子がその理由に迫る対話、15歳のときの詩などが読ませる。いや、何でも読みはじめると止められない。黙示録なのだ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/撮影:フォトグラファー 小森康仁/SANKEI EXPRESS)