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3・11で失われた「みちのく」への憧憬 森崎和江が問う「北上」(きたかみ)という母国 松岡正剛

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3・11で失われた「みちのく」への憧憬 森崎和江が問う「北上」(きたかみ)という母国 松岡正剛

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梅が枝に森崎和江の一冊。北上川をさかのぼると、日本の原郷としての奥六群という「みちのく」の本体があるということを、詩情ゆたかに伝えている(小森康仁さん撮影、松岡正剛事務所提供)  【BOOKWARE】

 3・11から3年がたった。まだまだ問題も課題も積み残したままにある。とくにぼくが気になるのは日本人が抱いてきた「陸奥」(みちのく)への憧れが、いまだ十分に回復していないことだ。

 柳田国男が『遠野物語』の聞き書きをもって日本民俗学をスタートさせたように、東北は日本人の心の原郷だったはずである。だが、そこが回復していない。平成の「奥の細道」めぐりも、あまり聞こえてこない。

 古代日本に大和朝廷が確立したとき、東北は化外(けがい)の地として「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、坂上田村麻呂を嚆矢(こうし)とする征夷大将軍が何度も服属を強いる遠征対象になった。その後も蝦夷はアテルイの反乱や前九年後三年の役などを挟んで、つねに中央から遠ざけられ、見放されてきた。そうした仕打ちを見てきた奥州藤原四代が奥六郡の平泉を中心に「もうひとつの日本」を築きたくなったのも、宜(むべ)なる哉(かな)である。

 これらのことは、征夷大将軍という名称が「征・夷」をカンムリにしていることにも如実にあらわれていた。「征・夷」は北の蝦夷を討つという意味なのだ。しかし鎌倉室町以降、その征夷大将軍も幕府の地に落ち着くことになると、しだいに「みちのく」は日本人の心情の奥にともる灯火のようになってきた。

 とくに歌僧の能因法師が白河の関を越えてからというものは、西行から芭蕉にいたるまで、また平賀源内から菅江真澄まで、風雅と見聞を友とするこれぞという日本人が、「みちのく」こそ日本の原景をのこすところなのだと認識するようになったのである。

 それは明治以降もずっと続き、イザベラ・バードから森崎和江まで、さまざまな人物が北帰行を愉しみ、その景観や文物や食材に親しむようになっていった。一方、宮沢賢治・新渡戸稲造・太宰治・寺山修司・井上ひさし・藤沢周平をはじめ、東北の感覚や思想がどういうものかが知られるようになると、また柳宗悦らによって北方の民芸の手技の力が知られるようになると、ついに東北文化を思うことは、日本人の原郷を思うことだという気運も定着してきたのだった。

 たとえば九州の炭坑文化を背負って生きてきた森崎和江はその『北上幻想』に、「いのちの母国をさがす旅」という副題をつけ、東北こそが日本の母国だと位置づけた。「降りつむ雪と響きあう/北東北の山のエロス/いのちの子らが光ります」という詩の一節もある。

 ところが3・11は、そうした「母国としての東北」のイメージを遠のかせてしまったようなのだ。なんとも残念だ。近いうち、再び北上幻想を日本中で交わせる日を待ちたい。

 【KEY BOOK】「北上幻想」(森崎和江著/岩波書店、1890円)

 森崎和江さんは九州宗像(むなかた)に住むすばらしい詩人である。宗像は宗像三神という海の女神がいらっしゃる。生まれは韓国慶州で、育ちが北九州。長らく炭坑の町で社会活動もしておられた。しかし森崎さんは「母国」をさがして北上川を上った。「みちのく」に母国を見いだしたかったからだ。東北を母国とした一族に安倍一族がいた。その最後のリーダー安倍貞任らは前九年の役で征夷大将軍に捕らえられ、京都に連れて来られそうになったのだが、途中で脱出して伊予に流れたとも、肥前松浦に渡って松浦党を創ったとも言われる。だとすれば森崎さんが育った北九州は中世以降は北から流れた蝦夷のリーダーがいたというわけなのだ。われわれも北上に「奥」を感じたい。

 【KEY BOOK】「北がなければ日本は三角」(谷川雁著/河出書房新社、1427円、在庫なし)

 森崎和江や石牟礼道子が筑豊で闘っていたとき、その運動のリーダーをしていたのが谷川雁である。大正炭坑を足場に行動隊を結成していた。その後、谷川は60年安保闘争の思想的な柱の一人となり、『原点が存在する』『戦闘への招待』『工作者宣言』などを書いて、多くの学生や大衆をアジテートしたのだが、やがて沈黙、ずいぶんたって活動を再開したときは児童文学運動をしていた。その谷川が久々に書いたのが本書である。「日本列島の図から北をとると三角になってしまうね」と言った子供の言葉にヒントを得たエッセイ集だ。たいへん考えさせられるタイトルだ。そうなのである、日本は「みちのく」を失えば三角野郎なのである。そうさせては、いけない。

 【KEY BOOK】「3・11を読む」(松岡正剛著/平凡社、1890円)

 本書は、ぼくが3・11の5日後からずっと書き続けた千夜千冊「番外録」のうちから60冊ほどを選び、再構成したものだ。「番外録」は居ても立ってもいられずに始めた「有事のためのブックナビゲーション」だったが、ぼく自身もずいぶん考えさせられた。日本人に何が決定的に欠如していたのか、何を隠してきたのかが、ほぼ見通せたのだ。とりわけ、地震列島に住む日本人がその「弱さ」を思想にしてきてこなかったことが悔やまれた。日本人こそ「フラジャイル哲学」の主張者であるべきなのだ。詳しくは本書を読んでいただくか、千夜千冊サイトをご覧いただきたい。本書の装丁はこの「BOOKWARE」のページをレイアウトしてくれている佐伯亮介による。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/撮影:フォトグラファー 小森康仁/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/

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