ニュースカテゴリ:EX CONTENTSトレンド
「なにわの伝統野菜」復活(上) 実った努力 発祥の地は「道の駅」
更新
畑の手入れをする「道の駅かなん」の駅長、阪上勝彦さん=2013(平成25)年10月24日、大阪府南河内郡河南町(関西大学_有志学生記者撮影)
「食の都」の大阪で、かつては盛んに栽培されていた特有の野菜の復活に取り組んでいる人たちがいる。その名も「なにわの伝統野菜」。関西大学社会学部の学生記者たちが、大阪の野菜畑からリポートする。
□今週のリポーター 関西大学 有志学生記者
江戸時代に「天下の台所」といわれた大阪では、多くの特有の野菜が栽培されていたという。しかし、戦後になると品種改良や西洋野菜の普及が進み、特有の野菜は姿を消していった。伝統ある大阪の野菜を復活させようという動きが広がっている。なぜ今、「なにわの伝統野菜」に注目されているのだろうか。
「なにわの伝統野菜」には3つの認証基準がある。(1)おおむね100年前から大阪府エリアで栽培されてきたこと(2)苗・種子などの来歴が明らかで大阪独自の品目・品種であり、栽培に必要な苗・種子の確保が可能であること(3)大阪府内で生産されること-。現在、17品目が認証されている。
「なにわの伝統野菜を作り始めたのは1998年。当時JA大阪南の職員だった私に、大阪市の漬物屋さんから毛馬胡瓜(けまきゅうり)の栽培の依頼があったのがきっかけでした」。こう話すのは、なにわの伝統野菜の栽培の第一人者で、現在は「道の駅かなん」(大阪府河南町)の駅長を務める阪上勝彦さんだ。
当初は、在来種がゆえに病害虫に弱く、試行錯誤を繰り返したという。そのノウハウを生かし、天王寺蕪(てんのうじかぶら)、田辺大根(たなべだいこん)、金時人参(きんときにんじん)などの栽培も始めた。
販路の開拓や「なにわの伝統野菜」のPRにも尽力。その結果、生産者組織が設立され、大阪府の協力を得て、2005年から「なにわの伝統野菜認証制度」がスタートした。
伝統野菜の発祥の地ともいえる「道の駅かなん」には、直売所がある。現在、契約農家125軒のうち20軒が伝統野菜を栽培している。
販売価格は、一般の野菜の価格より1割ほど高い。病気や害虫に弱く、育てるのに、手間ひまがかかっているからだ。それでも、道の駅かなんの支配人、石原祐也さんは「消費者からすれば、普通のキュウリと毛馬胡瓜に違いはない。消費者の立場に立ち価格設定をしている」と話す。
販売方法にもさまざまな工夫を凝らしている。伝統野菜は旬の時期にしか収穫できないものが多いが、一年中楽しんでもらおうと毛馬胡瓜の漬物を販売したり、「田辺大根は煮崩れしにくく甘いので、おでんに向いている」といった情報やレシピを提供したりしている。
こうした成果から、週末には午前中でほとんど売れてしまうことも。客層は、40代から60代が中心で、その形に新鮮味を感じて購入する人が多いという。幼い頃に日常的に食べていた野菜が復活したことを知り、買いに来る高齢者も多くリピーターになっているという。
このほか、小学生に伝統野菜に興味を持ってもらおうと、地元の小学校の給食に地元産の野菜を使い、「駅長」がその野菜を見せて、説明するという取り組みも行っている。
伝統文化の復活にも一役買っている。大阪市西成区にある生根神社では毎年、冬至の日に無病息災を祈願する「勝間南瓜(こつまなんきん)祭」が行われており、かつては参拝者に勝間南瓜が振る舞われていたが、60年以上前に栽培されなくなり、普通のカボチャを使っていた。ところが、2000年に和歌山市の農家で勝間南瓜の種子が偶然見つかり、それを河南町の農家が再び作り始めることになった。今では道の駅かなんが、勝間南瓜を生根(いくね)神社へ届けている。見事に伝統文化を復活させ、地域活性化にも大きく貢献しているのだ。(今週のリポーター:関西大学 有志学生記者/SANKEI EXPRESS)
関西大学 有志学生記者
<取材・記事・写真>
奥中一哉、林大輝、脇本真希、平林芙美