撮影の合間にすべての集落をめぐってみた。各集落には必ず土俵があり、豊年祭には1歳になった島の男子が化粧まわしをつけ、島の男たちに抱かれて土俵入りする。神社があれば神社、なければ公民館などの集落の中心地に土俵は置かれる。土俵は聖域で、神が降りてくる重要な場所だからだ。
≪平家と源氏の痕跡 800年の時を超え≫
祭りといえばもう一つ、「諸鈍(しょどん)シバヤ」も忘れてはならない。壇ノ浦の戦いに敗れて奄美へ落ちのびた平資盛(たいらのすけもり)が、土地の人々と交流を深めるために上演して見せたのが始まりだという。
シバヤとは芝居のこと。出演者である男子が、自らつくったカビディラという紙製の面をつけ笠をかぶり、伴奏にあわせて演じるものだ。僕はこの面が欲しくなり、「どこで手に入れることができますか?」と尋ねたら、諸鈍集落のお爺(じい)さんが、祭りに参加する住民の手製であることを笑いながら教えてくれた。平家が伝えた都の文化が、ここ加計呂麻島で土着の文化として根付き、800年を超えた現代にも息づいていることに、ただ驚くばかりだ。