昨年(2013年)の夏、カメラを握り、2週間ほど祇園祭の濃密な時間に浸った。京都の人々は、約1カ月間の夏を、この祇園祭とともに過ごす。毎日のように、中心となる八坂神社やその周辺で祭や神事が営まれ、それら全てをまとめて祇園祭と呼ぶ。祇園祭を営む33の保存会は、それぞれが独自の風習を守っていて、長い時間をかけて育まれてきた伝統と、個々の土着性が混ざり合う。祇園祭は、そのような京都の懐の深さを、目の前で実感できる素晴らしい機会だ。
個人的には、幾度となく足を運んだものの、その巨大さ、きらびやかさゆえに、若干の疎外感を感じていた。けれども時間がたつにつれ、祇園祭という巨大な身体に少しずつ包まれていくような不思議な感覚に見舞われた。僕が心動かされた風景を、一つずつ思い出していきたい。
祇園祭のハイライトを飾る7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)は、「動く文化財」とまでいわれる絢爛(けんらん)豪華なものだ。函谷鉾(かんこぼこ)の準備段階から写真を撮らせていただいた。お囃子の練習、鉾の組み立てなど、先達が背中を見せて後に続く者へ伝統を伝える姿が印象的だった。そして山鉾巡行の本番、長刀鉾(なぎなたぼこ)の稚児(ちご)による注連縄(しめなわ)切りで、神の領域と人間界の結界が切り落とされる。その緊張感に、関わる人々の祭りにかける思いがひしひしと伝わってきた。