豊かな水をたたえる琵琶湖周辺には、縄文時代から多くの人々が住み続けてきた。明治維新以前、琵琶湖畔の近江の地は、京都や大坂、伊勢への入り口として、また東海道の宿場町としてにぎわい、名所も多く、文学や美術の舞台にもなった。
かつて紫式部は三上山を近江富士になぞらえ、歌を詠んだ。瀬田の唐橋(からはし)は、7世紀の壬申の乱における最終決戦の場所。桃山時代に茶人・千利休の問答に答えるべく、古田織部が早馬を飛ばして擬宝珠(ぎぼし)を見に行ったのもこの橋だ。浮世絵師・歌川広重も「近江八景」で瀬田の唐橋を描いた。
日暮れ時、僕もカメラを片手に橋のたもとに立ってみた。錚錚(そうそう)たる歴史上の登場人物たちへオマージュをささげながら、あの広重の描いた夕照の風景を、自分なりに撮ってみたいと思ったのだ。
僕は近江の地が大好きで、東海道本線や北陸本線、湖西線を乗り継いで、何度も旅をしている。とりわけ琵琶湖の西側は、のどかな田園風景が広がり、ついのんびりしたくなる。とはいえ、列島のへそにあたる交通の要所、京阪神の水甕(みずがめ)、日本最大の面積と水量を誇る湖のまわりに、何もないわけがない。近江大津京(おうみのおおつのみやこ)ゆかりの三井寺、織田信長の安土城、松尾芭蕉が訪れた満月寺浮御堂(うきみどう)など、際限なく続きそうだ。一駅一駅、降りて散策したくなる衝動にかられる。