例えば、JR近江八幡駅から東に向かった阿賀神社(太郎房坊宮)は、多数の行者が集った修験の山。太郎房とは神社を守護している天狗(てんぐ)のことだ。同じ駅から西に行った長命寺にも、境内の最も奥まった場所に太郎坊権現社があり、厳しい修行の末、超人的な能力を身につけた僧が、大天狗になって飛び立ったとされる木が今も残る。三上山にしても、別名「ムカデ山」といって、この山を7周半したという大ムカデを武将が弓矢で退治したという伝説が残っている。土地土地が語る物語も冗舌だ。
だが近代以降の生活の変化に伴い、私たちはこの豊饒(ほうじょう)な語りを含めた水辺の風景を失ってしまった。
≪琵琶湖でたぐり寄せる水辺の記憶≫
かつて大津の宿で旅人相手に売られていた大津絵を現代に伝える、四代高橋松山(たかはししょうざん)氏を訪ねた。
気軽に旅することが許されなかった江戸時代にも、大山参りや伊勢参りだけは許されていた。代表者が村人の餞別(せんべつ)を手に伊勢へ参り、その帰りに記念に買うものとして、軽くて、安くて、ありがたい、恰好のお土産、それが大津絵だった。