「スターリングラード」が地図にあったのは1925~61年。その前は「皇帝の町」を意味するツァリーツィンで、56年のスターリン批判後に現市名に。前市名の復活を求めるロシア共産党の地元支部第1書記のニコライ・パルシン(41)は、現市名への変更は「(スターリンの死後に権力を握った)フルシチョフの独断で違法」と憤る。
ただ、市民の多くは「恐怖政治を思い出す」「経済振興や道路整備が先だ」などと述べ、旧名復活議論には冷淡だ。2月の全国世論調査でも復活支持は23%だった。
激動のロシア史に深く関わるボルガ川。攻防戦を今に伝える爆撃された旧製粉所や、17年のロシア革命からスターリン批判までの政治弾圧犠牲者を悼むソ連崩壊後に設置された碑が川面に影を落とす。
そのそばを、ロシア経済回復で豊かになった市民が、穏やかな表情でそぞろ歩く。まるで戦争などなかったかのように。(敬称略、共同/SANKEI EXPRESS)