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ザビエルの希望と失意 日本とのつながりも マレーシア マラッカ川 (1/5ページ)

2013.10.28 16:00

  • マレーシア・マラッカ
  • 泰緬鉄道は戦時中、ビルマ(現ミャンマー)とタイを結ぶ最短輸送路線として計画された。路線はタイ側ノンプラドックからビルマ・タンビザヤまでの総延長406.4キロ。しかし、路線がクワイ川(ケオノイ川)をはじめ、アペロン、ウインヤ川など約30の川を横断する難工事のうえ、作業が熱帯モンスーンの雨期にぶつかってコレラが大流行した。さらに1943(昭和18)年2月に着工、わずか8カ月で完成させるという突貫工事も重なって、作業に従事した英、仏、オランダ兵捕虜や地元からの徴用労働者の中に多数の死者が出て、「死の鉄道」とさえ呼ばれた。(産経新聞)
  • 参考地図

 【世界川物語】

 朝からの雷雨がようやくやみ、赤道近くの強い日差しが照り付ける中をセントポールの丘に登った。煙霧が消え、マラッカ海峡や対岸のスマトラ島がくっきりと浮かぶ。

 欧州列強や日本に相次いで占領されたマレーシアの古都マラッカ。1547年、1人の聖人がマラッカ川を見下ろすこの丘で、まだ見ぬ東方の国に思いをはせていた。目の前では薩摩(鹿児島県)出身の男がひざまずき、片言のポルトガル語で日本や日本人の姿を熱心に説明していた。

 ヤジローと出会い

 「ここは宣教師フランシスコ・ザビエルが日本行きを決めた歴史的な場所だ。キリスト教の宣教師と日本人が初めて触れ合った時でもある」。敬虔(けいけん)なカトリック教徒で歴史家のマイケル・チン(76)が丘にあるセントポール教会の跡で穏やかに語り出した。

 男の名はヤジロー(別名アンジロー)。殺人を犯し、当時日本との交易が始まったポルトガル船でマラッカに逃れた。そこで出会ったザビエルに罪を告白、後にカトリックに改宗した。武士との説もあるが、本名も職業も謎だ。

宣教師フランシスコ・ザビエル 中国上陸目前で死去

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