こう話すのは、父方の祖先がイラク出身のイスラム教徒の地区長ザカリア・シャウカタリ(61)だ。父はインド系のスパイス商人で母はマレー系。住民の結婚式は「出身民族の伝統を生かしつつ、壁を取り払って皆で祝う」と胸を張った。
苦難も平和の歩みも
旧市街から約1キロ離れた公園に慰霊碑が建てられていた。旧日本軍がマラッカを占領した太平洋戦争で犠牲になった中華系住民を祭った碑だ。
当時、小学生だったチンの脳裏を今も離れないのは「日本兵が銃剣で住民をたびたび押し倒した姿だ」。地元の男の多くは、日本軍がタイとビルマ(現ミャンマー)をつないだ泰緬鉄道の建設に駆り出され、大半が生きて戻ることはなかった。
「富士山」の唱歌を日本語で口ずさむチンに、ザビエルが生きていたら日本軍に何を訴えたのだろうか、と尋ねてみた。