「これだけ死んだのに、戦死兵の墓はとても少ない」。ボルゴグラードの民間遺骨収集団の連合体「ポイスク」副代表のスベトラーナ・ペルブヒナ(30)は嘆く。ソ連当局は遺骨に関心を示さず、収集はソ連末期に民間レベルで始まった。さらに公的資金が投入されたのは1991年のソ連崩壊後だ。遺体を埋葬するロッソシカの墓石が新しいのはそのためだ。
ポイスク創設は92年。以来、約2万5000柱を収集した。近年の愛国教育を追い風に、参加者の6割は30歳以下の若者だ。身元の分からない遺骨も多く、ロッソシカでも墓石に名前がないものや、イニシャルだけのものが目立つ。
遺骨収集活動から、意外なことが見えてくる。遺骨発見を遺族に伝えた際、かなりの数の遺族が、兵士は戦死ではなく「行方不明」として扱われていたと明かした。「政治的理由で死者数が少なく公表されたのでは」と副代表は疑いを抱く。
復活議論には冷淡
「欧州各地にスターリングラードと名の付く道や広場がある。パリには地下鉄駅も。世界はスターリングラードを忘れない」。プーチン大統領は攻防戦勝利の日からまる70年の今年2月2日、ボルゴグラードでの式典でこう演説した。直前に同市議会は年6日の戦争関係の記念日限定で旧市名使用を承認。演説は「スターリンの都」復活やスターリン再評価の流れの黙認と受け止められた。