「戦争を終わらせるために来たんだ」。まだ幼さの残る顔立ちのパベル・ロンジン(15)がぽつぽつと話す。「最後の一人の兵士の遺体を見つけ、墓に入れた時、戦争が本当に終わる」
6人は引率の大人とテントに寝泊まりし、自炊しながら毎日8時間ほど遺骨収集を行う。ソ連兵2人、ドイツ兵1人の遺骨を収容した。「ドイツ兵もかわいそうだと思う。自分の意思でここに来たわけじゃないから」
カスピ海の油田とソ連主要部を結ぶ河川交通の要で重工業が盛んだった。その上、ソ連独裁者の名を頂くこの都市を落とそうと、ヒトラーは躍起になった。一方、スターリンやソ連軍司令官は「一歩も退くな」「ボルガの向こうにわれらの領土はない」とげきを飛ばし、背水の陣を敷く。対岸に逃れようとする兵士は味方からも撃たれた。
ソ連時代は無関心
ロシア国防省の戦没者顕彰部署はソ連軍の死者を47万8000人余りと指摘。ドイツなど枢軸国の被害はさらに甚大だったとされ、死者は双方で計100万人に達するとされる。ソ連の勝利で終わった戦いは、川とともに発展し川が退路を断つ構造の都市ゆえに起きた惨劇ともいえる。