こんなエピソードもある。激しい雷雨が北陸地方を襲った夜、隆さんは「工場が動かなくなると困るから、ちょっと見てくる」と、出掛ける準備を始めた。家族は心配したが、「行かないといけないんだ」と言い残すと、レインコートを羽織って嵐の中を工場へ向かった。「父は、自分の父が事業に失敗したため、貧しい生活を経験している。名門企業で安定した生活を送りたいという思いが強かったのでは」
ただ、藤田さんは「安定した先の見える人生」に反発した。同僚と同じ社宅に住み、同じ会社に行き、子供は同じ学校に通う。「安定の代わりに何かを失っている。みんなと同じなのは嫌だ。自分は決してサラリーマンにはなりたくない」と、心に誓っていた。
高校3年の夏、起業家になることを決意。東京の大学に進学し、「起業への近道」と考え、就職先はベンチャー企業を選んだ。バブル経済が崩壊し、大企業への就職が必ずしも安定を意味しない時代。隆さんは息子の選択を見守るだけで口を挟まなかった。「『言っても聞かない』と分かっていたんでしょうね」