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【外交文書公開】ニクソン大統領「失望」 不信あらわ

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【外交文書公開】ニクソン大統領「失望」 不信あらわ

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1969年11月、米ホワイトハウスで日米首脳会談を行う佐藤栄作首相(左)とリチャード・ニクソン大統領(共同)  外務省は7月24日、外交文書86冊を一般公開した。1960~70年代にかけた、日米繊維交渉や中国の国連代表権問題が中心で、日本の繊維製品の対米輸出規制を話し合う日米繊維交渉が決裂した71年春、ニクソン米大統領が佐藤栄作首相に「失望と懸念をかくすことが出来ない」と、強く非難する異例の書簡を送っていたことなどが分かった。

 書簡については「佐藤栄作日記」に記述があるほか、米側で英文が開示されており、存在が知られていたが、日本政府が公開したのは初めて。他の公開文書と合わせ、繊維問題が首脳間でこじれ、日米関係が「戦後最悪」(信夫隆司(しのぶ・たかし)日大教授)のレベルに陥っていく史実が浮かび上がった。

 71年7~8月の米中接近、ドルと金の交換停止という2つの「ニクソン・ショック」の際、日本政府は米側から事前通告がなく大混乱した。書簡にある大統領の首相への根深い不信感が、2つのショックがもたらす日米外交危機の引き金になったとみられる。

 書簡は71年3月12日付。和訳文が手書きで3ページにわたり記されていた。直前の8日には日本の業界団体が、米側要求とかけ離れた、日本側に有利な繊維製品の輸出自主規制を発表していた。

 大統領は書簡で、この発表やこれを歓迎した日本政府の声明に触れ「本当に驚いた」と言明。「双方が満足できるような交渉を続けることが望ましいが、不可能と思われる」と交渉打ち切りを通告、輸入制限立法の必要性に触れた。「こうした方法であなたに手紙を書くことになったことを、深く遺憾とする」とも記し、憤りをにじませた。

 他の公開文書によると、愛知揆一(あいち・きいち)外相はマイヤー駐日米大使とこの年の3月10日に会談し、業界団体の自主規制策定に「政府は全然関与しておらず、背後で何かたくらんだことはない」と釈明。首相も大使と会い「(大統領の)期待に沿えなかったのは残念」と述べていた。

 このころ、首相が最も重視した沖縄返還協定は71年6月までに調印される運びとなっていた。しかし繊維問題の泥沼化を受け、マイヤー大使は「沖縄問題への跳ね返りも心配している」と日本側に忠告した。

 ≪国交ない中国の国連加盟を極秘検討≫

 7月24日公表の外交文書では、外務省が1960年代、国交のない中国の国連加盟容認を極秘に検討していたことも判明した。中国は当時、国連安全保障理事会の常任理事国だった台湾(中華民国)の追放を国連に要求。台湾支持の立場を取った日本は、中国支持が拡大する中で対応に苦慮していた。

 中台はいずれも台湾を含む中国全土を代表する正統政府と主張。日米は台湾の議席維持のため国連対策で協力していたが、外交文書によると、大平正芳外相は64年1月の日米外相会談で「台湾が中国本土をも支配しているとのフィクションを持っているので、いろいろ問題が出てくる」と、台湾の主張は非現実的との認識を示していた。

 中国支持はアジア・アフリカで広がり、フランスが64年1月に中国を承認。外務省の作業チームは「中国に代表権を与え、台湾議席も残す」など中国加盟を認める国連決議案を検討したが、中台双方の「反発は必至」としてまとまらなかった。

 日中関係について64年3月の内部文書は「日中間紛争の場合に事態を重大化させない」ために「政府間の直接チャンネル」の必要性に言及。一方で、70年8月の文書は中国が日本のアジア進出の「最大の壁」になると警戒感も見せていた。

 国連問題ではその後、英国までが中国寄りの姿勢を米国に伝達し、日米は71年3月の交渉で中台双方に議席を与える案を検討。ただ「中国に安保理議席も与える」との米国案に、日本が難色を示すなど足並みが乱れた。

 米国は当時、中国と秘密交渉を進め、71年7月にニクソン大統領が訪中すると発表。この年10月の国連総会では中国加盟を認める決議が採択され、台湾は国連を脱退した。

 ≪尖閣領有権主張の台湾には抑制要求≫

 台湾政府が尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領有権を主張し始めていた1971年5月、愛知外相が台湾外交当局者との会談で、尖閣をめぐる主張や世論の抑制を求め、台湾側が「努力したい」と応じていたことが7月24日、外交文書で分かった。

 台湾は当時、北京の中国政府に国連代表権(議席)を奪われる瀬戸際にあり、会談は国連問題を中心に協議、日本は台湾の議席維持に努める方針を伝えた。米国との沖縄返還交渉が大詰めを迎えていた日本は、国連問題への支援と引き換えに尖閣の問題化を封印、台湾は国連審議で日本の支援を確実にする狙いがそれぞれあったとみられる。

 71年5月8日付の極秘文書によると、愛知氏は5月7日、台湾の駐米大使らと会談。台湾の国連議席維持に向け「緊密に協力したい」と述べた上で、「尖閣列島のことについては静かにしていただければ、日本の人々に刺激を与えない意味でありがたい」と要請した。

 台湾の駐米大使は日本の支援に謝意を示し、尖閣に関して「この問題ではわれわれとしても“cool off”(沈静化)に持っていくよう努力したい」と述べた。

 台湾は70年から尖閣領有権の主張を展開。米国で台湾系学生が領有権を主張するデモを起こすなど騒ぎが広がった。中国政府も領有権を主張し始め、沖縄返還や日中国交正常化の障害となることが懸念された。(SANKEI EXPRESS

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