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【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】お互いの心が読めない歯がゆさ 

 前作「別離」(2011年)が世界中で大絶賛されたアスガー・ファルハディ監督(41)の最新作「ある過去の行方」。内臓を針でチクチク刺されるような居心地の悪さを感じながらも緻密な会話劇に引きつけられる130分間。人種も国も超え「人間ってそうなんだよなー」と観客を唸(うな)らせる心理ドラマは、苦みの効いたサスペンスに昇華されている。脚本といい演出といい、天才的巨匠の力量が存分に発揮された傑作である。

 幾つもの秘密が露呈

 マリー=アンヌ(ベレニス・ベジョ)は離婚手続きのためテヘランからパリを訪れた別居中の夫、アーマド(アリ・モッサファ)を空港で出迎える。数年前まで自分が暮らしていた家を訪れたアーマドは、妻がすでに新しい恋人サミール(タハール・ラヒム)と同棲中だと知らされる。かつて一緒に暮らしたマリー=アンヌの娘たちとの再会を喜ぶのもつかの間、義母になろうとするマリー=アンヌと衝突が絶えないサミールの息子の面倒まで見させられる。予想外に始まった不思議な共同生活は、「新しい家族の新しい生活」のために覆い隠された綻(ほころ)びを浮き彫りにする。母に心を閉ざす長女は優しいアーマドに母の再婚にかかわる秘密を告白する。この告白によって幾つもの事実が露呈し、登場人物たちの過去に潜む“罪なき過ち”が明らかになっていく。

 脚本執筆にあたりイランを離れ1年間パリで暮らしたというファルハディ監督。“普通の人々”が話す自然な会話は仰々しさなどみじんもなく、繊細で複雑な感情の層が幾重にも積み上げられていて隙がない。過去をひもとくようにストーリーが進む中、並行して観客の心理も登場人物の言葉に同情したり腹が立ったりと、激しくかき乱される。小さな勘違いが大きな誤解を生む。記憶として脳裏に刻まれた過去を辿りながら薄皮をむくように終わらない謎解きが続く。真意を伝える、真実を問いただすという小さな勇気を持てず懐疑心に溺れていく登場人物たちが痛々しい。お互いの言葉がわかっても心が読めない歯がゆさがスクリーンからあふれ出す。

 自分本位で周囲にストレスをまき散らす“イタイ女”マリー=アンヌを「アーティスト」のベレニス・ベジョが好演し、2013年カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得した。

 リアルな演技、圧巻

 過去に囚(とら)われ今日を生きることにも懐疑的な大人たちは、自分に自信を持てず他人に優しくもなれない。そんな大人たちの不安定な精神状態におびえながら、小さな力で恐怖に抵抗しようとする子供たち。脇を固める俳優陣のリアルな演技は圧巻で、子役たちに至ってはすでに磨かれた宝石のような輝きようである。撮影前の俳優たちに徹底した稽古を強いることでも知られているファルハディ監督の演出方法が功を奏したのだろう。いつか稽古風景をたっぷり見せてくれるメーキング映像の公開も期待したいところだ。

 1本の映画でこんなにも考えさせられ、感じさせられ、驚かされ、納得させられ、思いださされ、気付かされ、悟らされ、学ばされ、祈らされ…。映画館を後にしながら、自分が数時間前よりも少し成長したことを実感する。今もまだ誰かと感想を語り合いたい衝動に駆られている。東京・Bunkamuraル・シネマほかで公開中。(映画監督 ヤン・ヨンヒ/SANKEI EXPRESS

 ■ヤン・ヨンヒ(梁英姫) 1964年、大阪市生まれ。在日コリアン2世。映画監督。最新作「かぞくのくに」は第62回ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞。他に監督作「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」がある。

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