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【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】体の隅々まで行き渡る余韻に目眩

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【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】体の隅々まで行き渡る余韻に目眩

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 □映画「母の身終(みじま)い」

 ナントいう映画だ! 痛いではないか! 重いではないか! 忘れられないではないかー!と心の中で叫びながら映画館を出た。ステファヌ・プリゼ監督(47)の演出はまるで観客の内臓に剣山を何度も浅く押しあてられているような痛みを強いる。そんなヒリヒリ感の中、人生について、家族について、愛について考えさせられ、何度も自分自身に繰り返し投げかける問い。どう生きる? どう死ぬ? どう愛し愛されたい?

 しのぎを削る演技

 フランスの小さな町。トラック運転手のアラン(ヴァンサン・ランドン)は麻薬密輸の罪で18カ月間服役し出所する。48才にもなって独り立ちできない息子を迎える母(エレーヌ・ヴァンサン)は苛立ちを隠せず久しぶりの親子の再会も殺伐としたものになる。埃(ほこり)ひとつない部屋で禁欲的な日々を過ごす母と、就職もままならないストレスを母にぶつける幼稚な息子アラン。お互いへの愛情を心の奥底のどこにしまったのかさえ忘れたような2人は、優しい言葉を掛け合うこともできず傷つけ合う。

 そんな息子は母がスイスにある幇助自殺を介助する協会の会員で、申請書にサインまでしていることを知り愕然(がくぜん)とする。(幇助自殺を介助する協会は実際にスイスに存在し、そのNPOがこの映画に登場する施設や団体のモデルになっている。また尊厳死と安楽死についての日本と欧米の解釈にも違いがある。私自身、幇助自殺を介助するということについて初めて考えさせられた。劇場で販売されるパンフレットも参考になるだろう)

 ファーストシーン。車窓に見入るアランの横顔の少し不安げな表情を数秒間見るだけで「キター! 名俳優!」と叫びたくなるほどヴァンサン・ランドンの演技が光る。続いて母親イヴェットを演じるエレーヌ・ヴァンサン(70)のリアルな存在感に、この作品が錚々(そうそう)たる役者陣のしのぎを削る演技によって退屈とは無縁のものであることを確信する。そしてふくらむ期待は最後まで裏切られることがない。

 やるせない母の背中

 仕事が続かず不満ばかり漏らすアランに意見する母。ガタイの大きな息子が、老いと病気で小さくなった母に罵声(ばせい)を浴びせながら食って掛かる。「死んじまえ! 反吐(へど)が出る!」と乱暴に責めよる息子の前で震える母の姿が痛々しい。同じようにこの母を苦しめたであろう亡き父の影さえ感じさせる圧巻のシーンだ。ボウリング場での出会いからアランに心も体も開く魅力的な女性クレメンス(エマニュエル・セニエ)は壁をつくるアランに「あなたはすべてを壊してしまうのね」と言って去る。母と息子の長年の友人であるラルエット(オリヴィエ・ペリエ)は親子を見守り優しく接する。死ぬためにスイスへと旅立つイヴェットに「あなたの隣人で幸せだった」と言い頬にキスをする。その腕に一瞬すがりそうになる母の背中がやるせない。脇を固める役者陣の演技もため息が漏れるほど素晴らしい。

 母がスイスへと旅立つ。アランが母を送り届ける。あまりにも淡々と流れる時間。そして最後に母と息子が交わす言葉は…。

 映画館での上映後、灯(あか)りがついても暫く立ち上がれなかった。言いようのない苦みが喉を伝い体の隅々まで行き渡る。打ちひしがれそうに過酷な物語があまりにも美しく描かれた奇跡。その余韻に目眩(めまい)さえ憶(おぼ)えた。人は死について考えながらやっと生きることに目覚め、少しずつ大人になっていくのかもしれない。いつまでも語り継がれるであろう傑作に今も心が揺れている。東京・シネスイッチ銀座ほか公開中。(映画監督 ヤン・ヨンヒ/SANKEI EXPRESS

 ■ヤン・ヨンヒ(梁英姫) 1964年、大阪市生まれ。在日コリアン2世。映画監督。最新作「かぞくのくに」は第62回ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞。他に監督作「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」がある。

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