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ヒチコック監督の恐怖、原点はナチ収容所 ドキュメンタリー完全版初公開へ

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ヒチコック監督の恐怖、原点はナチ収容所 ドキュメンタリー完全版初公開へ

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サスペンス映画の巨匠、アルフレド・ヒチコック監督。その「恐怖表現」に大きな影響を与えたとされるホロコーストを描いたドキュメンタリーが公開される=1968年撮影(AP)  英国が生んだサスペンス映画の巨匠、アルフレド・ヒチコック監督(1899~1980年)が製作に関わったナチス・ドイツによる「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)」のドキュメンタリー映画が修復され、完全版として初公開されることになった。1月8日付英高級紙インディペンデントが報じた。

 ヒチコックは作品の製作時に目にした残虐な映像に強い衝撃を受け、その後の映画製作における「恐怖表現」に大きな影響を与えたとされる。公開作品は、ホロコーストを後世に伝える歴史資料としてだけでなく、映画史に足跡を残したヒチコックの“原点”としても注目される。

 最新技術で完全版復元

 完全版は第二次世界大戦終結70年となる2015年を前に、映画館やテレビ放送などで公開される予定だという。「収容所の記憶」と題されたドキュメンタリーは、英軍とソ連軍がドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で実際に撮影した映像を基に製作された。

 ヒチコックはドイツ軍の降伏前の1945年2月に、友人で後援者のシドニー・バーンスタイン氏(1899~1993年)から要請を受け、場面構成の助言などを行い、全6巻の作品が45年末に完成した。この収容所は、「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクが45年3月に15歳で亡くなったことで知られている。

 ロンドンの英帝国戦争博物館のトビー・ハギス上級学芸員によると、「連合軍は当初、ドイツ人に自らの残虐行為の責任を認めさせる意味から、早期公開を強く求めた」という。しかし連合軍は最終的に、公開によってドイツ人が屈辱を強いられ、戦後復興に悪影響が出ると判断し、作品はお蔵入りとなった。

 その後、80年代に米国の研究者が5巻を帝国戦争博物館で発見。84年にベルリン国際映画祭で公開され、85年5月には米公共放送でも放映された。この時の約55分の映像は1巻分が欠けた不完全版だったうえ、その後の経年劣化で画質が悪くなっていた。そこで、博物館が6巻目も含めたフィルムを最新のデジタル技術を駆使して修復、完全版の復元に成功した。

 残虐場面に強い衝撃

 不完全版の映像ではナチスを率いたアドルフ・ヒトラー(1889~1945年)に熱狂する大群衆とホロコーストの残虐な場面が対比的に描かれており、映像としての衝撃は大きい。ヒチコックは基になった映像を見て、1週間もスタジオに通えなくなるほどの衝撃を受けたという。

 帝国戦争博物館のハギス上級学芸員は「他のどんなナチス収容所に関するドキュメンタリーよりもはるかにリアルだ。見れば憂鬱になり、打ちのめされるが、希望もある」と評価。試写を見た歴史や映画の専門家も「恐ろしさと素晴らしさが同時に襲ってきた」との感想を口にしたという。

 インディペンデント紙は、この作品の製作で受けた衝撃が、ヒチコックのその後の映画における恐怖や暴力の表現に大きな影響を与えたと指摘した。ヒチコックは45年以降、効果的に観客の恐怖心を高める演出や映像手法で、「サイコ」(60年)や「鳥」(63年)といった傑作を次々に生み出している。

SANKEI EXPRESS

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