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「目のよさ」が可能にする独特な世界 町田康

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「目のよさ」が可能にする独特な世界 町田康

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(町田康さん撮影)  【本の話をしよう】

 私は読み狂人。朝から晩まで読んで読んで読みまくり、読みに狂いて黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人たる私がこのところ読んだ本の中で激烈におもしろいなあ、死ぬなあ、現状で狂っているけどもっと狂うなあ、と思うのは、中原昌也の、『こんにちはレモンちゃん』という短編小説集である。

 どんな小説か。それはもう中原昌也の小説というより他なく、ちょっと読むだけで、今日、文芸雑誌などに掲載されている他の小説と随分と違っている、とわかる。

 名文意識から免れて

 というと、狂ったような、はじけたような、文法をどつきまわし、文脈を半殺しにしたような、子犬が人目につかぬところで高笑いしているような、そんな文章を想像しがちだが、そうではなく、むしろ古風な印象を受ける、静かな語り口で、ところどころにはもの悲しささえ漂う文章であり、それがかえって独特の味を生み出している。

 というのは、作者が、それがどんな文章である以上、文章を書く者がレベルは違うにしろ必ず陥る名文意識から完全に免れているからであろう。それが証拠に、作者はときに、極度に俗な、いい加減なポエムのような言葉や、広告宣伝の言葉、フィッシング詐欺の言葉といった、うすら寒い、真情というものをまったく持たない言葉を自らの文章に組み込むことによって、かえって小説そのものの、真情を際立たせるという技法も用いている。

 些末を切り捨てない

 そこへさしてなおよいのは、作者の目のよさ、というか、この世の、普通の小説であればノイズとして切り捨てられるであろう、誰が置いたのかわからないが、路傍にふと置かれ、放置されたもの、や、通り過ぎる小型犬の眼差しや、これには多少、感情の要素、すなわちなぜそんなところに長時間座らされなければならないのか、という怒りの感情が混ざるのかもしれぬが、パイプ椅子などに、その場にそぐわない感じを見出し、そして、それらを、音楽家の手つきで効果的に出し入れすることによって、別の輝くような魂を吹き込んでいるという点である。また、作者は古今の映画に通暁していると聞くが、そうした映画のひとつびとつのショットとそこから派生する映像が作者の頭脳の中で自在自由に混淆(こんこう)されているのかもしれない。

 ということはけっこうむずかしいことだと思うのだけれども、それを可能にしているのは作者の目のよさで、それはすなわち超高性能のレーダーのようなものなのだろうが、これまでの文学と違って、それを背負っていることを苦しみとして描かず、特別なものと捕らえない態度を貫いているところも、この激烈なおもしろさに繋がっているように読み狂人は思う。

 根底に強い倫理観

 また、筋はとりとめがなく、人の行動もいきあたりばったりで、意味だけを追っていけば理解できない部分もあるのにもかかわらず、実に腑に落ちてすっきりするのは、勿論、作者が工夫を凝らしているからだが、その根底には作者の強い倫理観があるのではないかと思う。ただしそれはなにに基づく、どのような方向性のある倫理観なのかは、判然としない。ただ、これはあかんやろう、という強い気持ちが、「キリストの出てくる寓話集」などに現れている。この場合、それが正しいか間違っているかは問題ではなく、ふざけたような、なにもかもを相対化したような状態の奥底に太い黒々としたものがあるかないかということで、それを感じて読み狂人は感心も得心もしたのである。

 あと、今月(1月)やられたのは、岡井隆の『ヘイ 龍 カム・ヒアといふ声がする(まつ暗だぜつていふ声が添ふ)岡井隆詩歌集2009-2012』。すげえっす。詩歌集とあるけれども自由詩も載っている。そのほかに岡井隆の木下杢太郎関連も今月(1月)は読んだわ。木下杢太郎という人そのものもそうだけれども、岡井隆という人がなぜ木下杢太郎の百年前の詩をいま読むのかという問いをずっと読み狂人は問われてるのだわ。と思ったよ。(元パンクロッカーの作家 町田康、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■まちだ・こう 1962年、大阪府生まれ。81年、町田町蔵名義でパンクバンド「INU」のボーカリストとしてデビュー。96年には町田康として処女小説『くっすん大黒』(文芸春秋)で文壇デビュー。2000年に『きれぎれ』(文芸春秋)で第123回芥川賞受賞。近刊に橋本治らとのアンソロジー『12星座小説集』(講談社)。

 ≪「こんにちはレモンちゃん」(中原昌也著)≫

 著者は1970年生まれ。音楽活動や映画評論などを経て98年、初の小説集を刊行。本書はコーヒーカップ男と色黒調理師の視線の邂逅を描く表題作など8編を収録。幻戯書房、2100円。

 ≪「ヘイ 龍 カム・ヒアといふ声がする (まつ暗だぜつていふ声が添ふ)-岡井隆 詩歌集 2009-2012」(岡井隆著)≫

 著者は1928年生まれ。前衛短歌を代表する歌人として知られる。詩や文芸評論の分野でも活躍。思潮社、3990円。

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