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わかっているのかいないのか 町田康

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わかっているのかいないのか 町田康

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 【本の話をしよう】

 私は読み狂人。朝から晩まで読みて読みて読みまくりたる挙げ句、読みに狂いて黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人の私は、一応、書かれたいろんなものを読んで、一応、その内容を理解、そのうえで読み狂人自身の内部になんらかの反応が生じる。エフェクトが効く、と思っていたのだけれども、本当に読み狂人は、その内容をわかっているのか。実はなにもわかっていないのではないか。というか、わかっていないこともわかっていないのではないか。といま思う。

 というのは、溝田悟士の『「福音書」解読』を読んだからで、この本は新約聖書の4つの福音書の間に生じる物語の食い違いに着目して、なぜその食い違いが生じたのか、ということを、歴史的・宗教的観点からではなく、言語学その他の方法を用い、あくまでも、書かれたもの、のなかにそれを見出す、というやり方で分析・解明した本である。

 こうするより他にない

 と書いて読み狂人にはわからないことばかりで、まずキリスト教がよくわからず、聖書学がよくわからず、言語学がわからず、そのうえ、「ギリシア語? まだ食べたことない」みたいな状態で、したがって上の短い説明すら間違っているのかも知れない。

 にもかかわらずこの本が極度におもしろかったのは、そうしたわからないことがわかるようになったからではなく、どうしても思えないことを思うためにはわからないことをわからないように書くしかない、ということがわかったからである。

 そしてその、わからないこと、ということはなにかというと、死んだ人間が生き返る、ということで、私たちは死んだ人間が生き返るとはどうしても思えず、イエス様が私たちのために死に3日後に復活した、と言われてもそれはまあそうは言っているがそれはあくまでも物語のなかの話であって現実にはそんなことはありゃあせんだろう、と思ってしまう。本書の、それを打破するために、こうするより他なかった、という「解読」は読み狂人にとって痺れ薬のようなもので脳が痺れてとってもいい気持ちだわー。ってね。

 愛による記憶の再生

 なんて惚(ぼ)けはいらないが、つまりしかしそのような、いわば思うこと、いわば信仰が必要とされるのは、いまもいうように人は死んだら生き返らない。ものも言わない。ものも思わない。思い出だけの存在になってしまい、それは死ぬ者にとっても死なれる者にとっても悲しく侘びしく、つらく切ない想念であるからであろう。なーんて思いつつ読んだ、藤野千夜の『君のいた日々』は、それこそ、祈り、のような本であった。

 去る者日々に疎し、といって、死んだ者は次第に忘れられ、ついには完全に消滅する。ところが、ここで描かれる男女であり、夫婦である生者と死者は互いのことを忘れない。というか逆に、日を重ねるにつれ、その現れが頻繁になり、復活、のぎりぎりのところにまでいたる。これは、本来は脳の奥底に沈んでアクセスできなくなる記憶の愛による再生であり、復活へ向けた祈りであろう。そろそろ過ぎたことは忘れて前を向いて生きていこう。なんて言うが、終末にいたって、或いは、人間が死ぬるとき、もし祈りによって時間を閉じることができるのであれば前も後ろもないはず、と思おうと思って思う。そんなすがすがしさを感じる本だったわよ。

 気合と気迫の殴打

 といって話は変わるが、松浦寿輝の『詩の波 詩の岸辺』がおもしろかった。読み狂人はかねてより、いろんな詩人がいろんなタイプの詩を書いているのにもかかわらず、なにかそこに共通した、悲しい感じ、があるのを感じ、なぜだろうと思っていたのだけれども、前半の、「現代詩-その自由と困難」その他を読んでそのあたりの事情がよくわかった。

 また、中盤の「詩の波 詩の岸辺」は詩の時評で、当代きっての詩人である作者がどのように詩を読むかを読むことによって、詩になじみの薄い読者も、詩のあじわい方がわかるようになっている。最後におかれた、「火の詩 風の詩」は気合と迫力を感じる。読み狂人はぼこぼこになりよったです。ぼこぼこになりよったです。(二回云フ)(元パンクロッカーの作家 町田康、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■まちだ・こう 1962年、大阪府生まれ。81年、町田町蔵名義でパンクバンド「INU」のボーカリストとしてデビュー。96年には町田康として処女小説『くっすん大黒』(文芸春秋)で文壇デビュー。2000年に『きれぎれ』(文芸春秋)で第123回芥川賞受賞。近刊に橋本治らとのアンソロジー『12星座小説集』(講談社)。

 ≪「『福音書』解読 『復活』物語の言語学」(溝田悟士著)≫

 なぜ複数の福音書が書かれたのか。マルコ福音書と、マタイ、ルカ福音書との記述の違いを手がかりにキリスト「復活」の謎に迫るとともに、福音書の構造を解き明かす。講談社選書メチエ、1680円。

 ≪「君のいた日々」(藤野千夜著)≫

 〈妻を失った夫〉と〈夫を失った妻〉。ある夫婦の物語を交互に描き、ふたりのかけがえのない大切な瞬間を切り取る。大切な人を亡くした人に贈る書き下ろし長編。失って初めて気づく思いがある。角川春樹事務所、1470円。

 ≪「詩の波 詩の岸辺」(松浦寿輝著)≫

 著者は1954年生まれの詩人・小説家。昨年紫綬褒章を受章した。本書は新聞に掲載された詩の時評などを収録。「詩は生き残ることができるのか」という問いに対する1人の詩人の苦闘の記録。五柳叢書、2415円。

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