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駅伝の感動を秀作で予習 乾ルカ

 ここ10年以上、年始には必ず続けていることがあります。

 それは「箱根駅伝を見る」こと。「ニューイヤー駅伝」も見ます。正月三が日は朝からテレビ三昧です。駅伝を見るようになったきっかけは、はっきりとは覚えていません。たぶん、がちゃがちゃしたバラエティー番組があまり肌に合わずに、チャンネルを変えていたら、お正月からなんか人が走っている、スポーツ観戦は好きだし見てみようか、という感じだったと思います。

 一度見て、すぐに好きになりました。陸上競技は一般的に個人の戦いというイメージがあります。当然かもしれません、走る自分の背を誰が押してくれるでも、あるいは手を引っ張ってくれることもない。ゴールまで進むのは、あくまで自分自身の力です。けれども、その個人要素に加え、駅伝は襷(たすき)をつなぐというチーム要素があります。襷をかけてその区間を走るのは1人ですが、終着点まで持っていくのは、誰か一人欠けてもいけない。この襷が途切れるか途切れないかという中継所のはらはら感、ぎりぎりで繋がった、もしくは駄目だったときのドラマ性。とりわけ箱根駅伝はコースも特徴的で、有名な5区の山登り、6区の山下りは、やはり見逃せません。花の2区のごぼう抜きも爽快ですし、復路終盤の苛烈なシード権争いも手に汗握ります。

 全10人、キャラ立ち

 箱根駅伝を描いた本は小説のみならずいくつもありますが、私が心のマイベストとしているのは『風が強く吹いている』(三浦しをん)です。

 有名で素晴らしい作品ですので、今さら私ごときがここで魅力を訴える必要はないのですが、大好きで語りたいので、書かせてください。

 まず当たり前ですが、ストーリーが純粋に良いのです。実績もなにもない、自分たちが実は大学の陸上部に所属していたということすら知らなかった個性豊かな10人のメイン登場人物たちが(正確には10人のうちの1人だけ知っていて、彼がみんなの尻を叩くのですが)、4月から箱根駅伝を目指す。補欠もなしで。ありえないと読者が言う必要はありません、登場人物たちがちゃんと言います。彼らの中で陸上の実力がきちんとあるのは2人だけで、残りは今一つ。最初はてんでお話にならないレベルのキャラクターも、しっかりいます。そんな彼らが時に文句を言い、時に飲んだくれ、時に激しく不満をぶつけあいながらも、はるか高みにある一つの目標「箱根駅伝を走る」を目指して進んでいくさまは、青春ものがお好きな方ならもうたまりません。

 本としてはページ数が多めではありますが、その厚みをまったく感じさせない巧みな文章もあいまって、ぐいぐい引き込まれます。

 そしてなによりも、登場人物すべてのキャラが立っている。これはすごいことです。箱根の1区から10区を走る10人のメインキャラクターはもちろん、チームの名ばかり監督、対立する名門大学の選手、むさくるしい男連中の中に可憐な色を添える八百屋のお嬢さん。誰か一人欠けても、きっとこの物語は成立しない、そう思うと、『風が強く吹いている』この作品自体が、もはや駅伝の要素を兼ね備えているといっても、過言ではない気がします。

 おのれと向き合う

 後半、箱根路を走る10人は、その区間で1人になります。彼らは走りながら、そこでおのれと向き合います。10人の中でも、最初から陸上の実力を有する2人が、この物語を通しては主役格として話は進行していきますが、この箱根路の場面では、まるでスポットライトが一人一人に次々当たっていくように、自分にあてがわれた区間をひたむきに、自分の力で、自分のやり方で走る、そのとき襷を持っている人物が、主役になります。

 その展開がまたいいのです。正直なところ、登場人物が多いとお気に入りの1人2人が固定化されてしまう場合がありますが、この物語は10人誰にスポットが当たっても、弱くなる部分がありません。繰り返しますが、それほど人物造形がしっかりと練り込まれているのです。10人全員に応援の言葉を心の中で投げかけながら、私はページをめくりました。

 スポーツは筋書きのないドラマとよく言われ、今回90回を迎える箱根駅伝も、どんな結末が待っているかわかりません。だからこそ、楽しみに面白くテレビの前から動かず見てしまうのですが、小説の中には、結末を知っていても、どんな展開が待っているかわかっていても、ここで誰がなんというか全部記憶していても、何度でも読み返してしまう、好きでたまらない作品があります。

 私にとって『風が強く吹いている』はその中の一つです。

 来るべきリアル箱根駅伝に備えて、今年も再読の季節がやってきました。(作家 乾ルカ/SANKEI EXPRESS

 ■いぬい・るか 1970年、札幌市生まれ。銀行員などを経て、2006年『夏光』で第86回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。10年、『あの日にかえりたい』で第143回直木賞候補、『メグル』で第13回大藪春彦賞候補となる。12年、『てふてふ荘へようこそ』がNHKBSプレミアムでドラマ化された。近刊に『たったひとり』。ホラー・ファンタジー界の旗手として注目されている。札幌市在住。

「風が強く吹いている」(三浦しをん著/新潮文庫、882円)

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