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ああ恐ろしい 犬、姉、絵の力 乾ルカ
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札幌のほぼ中心部にある中島公園。10月の末に訪れましたが、北の町では早くもイチョウが色づいていました=北海道札幌市中央区(乾ルカさん撮影)
今では、ほぼ見かけませんが、私がまだ幼稚園児くらいだったころは、たまに街中で野良犬に遭遇することがありました。野良犬といっても実態は現在と同じで、迷い犬か捨て犬かのどちらかだったのでしょうが。
5歳のとき、我が家の前の雪山で姉と姉の友達と3人で遊んでいたら、北海道犬ほどの大きさの黒い犬に襲われたことがあります。襲われたというのは、もちろん私の主観。思い返してみれば、犬に攻撃の意思はなかったような気がしますが、幼い子供にとっては、だしぬけに現れた野放しの犬というのは恐ろしいもの。私たちはいっせいに悲鳴を上げ、逃げました。
犬は逃げるものを追いかけるので、当然あとを追われました。姉たちはさっさと我が家の中に避難し、私が玄関に入る前に、ドアに鍵をかけました。私の背後には主観により巨大化した黒犬。家には入れない。姉はドアを開けてくれない…。
私もどうにか近所の家に逃げ込んでことなきを得ましたが(子供の足でも逃げられたということは、やはり犬に攻撃の意思はなかったのでしょう)、「いざというときに、姉妹愛なんてない」という現実を、しかと悟った出来事でした。
犬を題材にした作品、活躍する作品は、小説のみならず数多くあり、枚挙にいとまがありません。私自身、好きな作品もいっぱいあります。
その中で、とりわけ印象深いのは、捨てられて愛情を失った犬が、あてどなく放浪してゆくさまを描いた『アンジュール』です。
これは絵本のカテゴリーになるのでしょうか。でも、普通の絵本とは少し違います。文章が一つもないのです。擬音もありません。ページにはラフスケッチのようなタッチの、モノクロの絵があるのみです。
この『アンジュール』という作品は、中型犬サイズの犬(猟犬っぽい、スマートで均整のとれた犬です)が、無慈悲に車から捨てられるところから始まります。犬は突然のことに驚きつつ、懸命にご主人様が運転する車を追いますが、無情にも車は走り去ってしまいます。
最初の捨て犬シーンの、まるでゴミでも投げ捨てるような「ぽいっ」という感じ、自分を捨てた飼い主をそれでも慕い、車を追いかける犬の必死さ、一人ぼっちになってしまったと悟り、走るのをやめてとぼとぼと歩きだす哀れさと諦めが、ラフなタッチの線の端々から滲み出ていて、犬好きな方なら、まずここで胸を絞られること請け合いでしょう。絵本の中に入っていけるものなら、最初のページで車から愛犬を捨てた飼い主に、頭突きの一つもかましてやりたいところです。
言うまでもなく、絵から犬の感情がくみ取れるのは最初だけではありません。最後までそうです。ネタばれになってしまうので、捨て犬がどんな結末を迎えるかは書きませんが、『アンジュール』は、ほんのり温かな、後味の良い作品です。
犬の表情、足取り、ポーズ。地平線、雲、影。言葉はないのに、情感はしっかりと伝わってきます。だから、読む側の心にも響きます。
もちろん、著者のガブリエル・バンサンの素晴らしさは、今さら語るまでもないのですが、絵だけの作品が、人の心にこれほど訴えかける現実を前に、文字を書いてなにかを表現する人間のはしくれとしては、「根本的に言葉ってなんだろう」と思わずにはいられません。どんなに言葉を尽くしても、たった一枚の絵にかなわない事実を突きつけられるのですから。
ただそれは、いっぽうで一つの希望にも結び付きます。『アンジュール』は言葉が通じなくとも、使えなくとも、人は他者の心をくみ取り、理解しあえるのでは、という可能性を垣間見させてくれます。これは少々大げさな解釈かもしれませんが、そんな可能性があってほしいと、私は願います。
ところで大人になってから、5歳の私を置いて逃げたときのことを姉に尋ねてみたことがありますが、彼女は覚えていませんでした。私にとっては犬に追われた恐怖と、姉に見捨てられた絶望に満ちた忘れがたい思い出ですが、姉にとってはとるに足らない出来事だったのでしょう。それでも姉は、「そんなことあったんだ。ごめーん。怖かったっしょ」と明るく笑って謝ってくれたものです。
子供のころは、才色兼備で誰にでも好かれる姉が私のコンプレックスでしたが、今は姉のそんな明るさと、昔から変わらぬ優秀さ、可愛らしさが、妹としても、一人の人間としても大好きです。
──と、直接言葉にして伝えることは、とても恥ずかしくてできません。姉がいつかこの気持ちをくんでくれる日は、はたして…。
まあ、来ないと思います。
私も別に、来なくていいです(笑)。(作家 乾ルカ/SANKEI EXPRESS)
「アンジュール」(ガブリエル・バンサン著/BL出版、1365円)