--解党の影響を敗因に挙げたが、期待の受け皿がなかったということか
「それが全てとは言わないが、党を応援してもらうのは、3区では渡辺喜美を応援してもらうのと同じ。その片方の車輪が外れてしまった。深刻な支持の離反を招いたと思う。無所属は党代表と違い、党首討論をできるわけでもなく、一新人と同様、どぶ板でかけずり回るということだから、みんなの党を作って5年間やってきたことが無に帰したイメージを持たれてしまった」
--今後、国民運動などは考えているか
「たくさんの仲間、地方議員がいるので今後考えたい。渡辺美知太郎議員の議席がある参院で今後どう展開できるか模索したい。保守でありながら徹底的な改革を進める勢力の結集を期待したい」
--父への思いを
「おやじは行商人から地域にかかわり、税理士となり、いろいろな職種の税務申告に関わる中で政治の壁にぶち当たり、県議、国会議員となった。この地域を知り尽くしていると言っても過言ではない。私も裏方の頃や1年生議員から10年ぐらいはそういう感じで選挙区を回った。党代表になり、残念ながら地元に帰れなくなったが、今回『原点に戻れ』というご批判をいただいた。おやじに比べれば、まだまだ。地盤は相続できるものでもない。民主主義の中で、有権者が他の候補がふさわしいと判断をした。これは厳粛に受け止めたい」
--業界団体、首長が相手陣営に回った。過去の遺恨はあったか
「首長選というのは一方の候補を応援しても中立でも遺恨が残る難しいもの。今回、自民に付かれた首長さんらは、そういう方々だと思う。私が相手候補を応援した、あるいは中立を守った。そういうことが遠因だと思う」
--前回、みんなの党は党勢を伸ばしたが、今回は第三極全体が低調だった
「(有権者が)自民党の政策、方向性に期待感を失っていなかった。第三極はそれに代わるビジョン、マクロ経済政策を提示できなかったのが敗因。構造改革は皆、似たようなことを言っている。これは実際に効果が出てくるのは5年ぐらいかかる。金融政策は2年ぐらい。消費増税で1回目の金融緩和が帳消しになってしまったが、2回目の金融緩和の効果は2年後ぐらいに出てくる。その間、財政政策で私は減税と言ってきたが、そういった明快なマクロ経済を主張する政党が第三極に見当たらなかったのが国民の期待を集められなかった原因だろう」