イタリアでITのスタートアップに聞くと「プラットホームとアプリは上下関係じゃないよね。役割が違うだけさ」と躊躇なく答え、「シリコンバレーにコンテンツなんか乏しいよね」と軽くいなす。シリコンバレーに対して無駄に劣等感を抱かないのだ。そして時間軸を含めたコンテクストを重視する欧州の伝統がある。
プラットホームが構築できればビジネスとして儲かりやすく、その目的を実現するにシリコンバレーは最適な場所である。そのため「グローバル」に通用するプラットホームを売り捌くに大型投資を引っ張りやすい。この認識は両国とも同じだ。
しかしながらプラットホームだけで世の中が成り立つわけではない。アプリケーションやコンテンツが必要だ。日本の人たちは、このアプリやコンテンツもシリコンバレーが世界で一番得意であると思い込やすい。それだけでない。プラットホームの方がエライと思っている節がある。
これらが大きな差だ。
今月の日本滞在中も、「グローバル」と「プラットホーム」という言葉のセットにあまりに躍らされている人たちが多いのが気になった。夢に向かって頑張るのはいい。が、誤った認識に基づいた夢は何の価値もない。いや、害でさえある。