ところが、これで終わらないのがレの真骨頂だ。実際にヘリから攻撃を受けた男女や、ヘリを作った男性に自由に語らせる。ある女性は停止飛行(ホバリング)し、自分に機銃の狙いを定めているだろうヘリに向かってほほ笑んだといい、ある男性は、ヘリが近づいてきても、親に教えられたように走らず、ゆっくり歩いたと振り返る。そしてヘリを作った男性は「ヘリは仲間だ。救助や物資輸送に必要なんだ」と力説する。
ヘリが残酷な「兵器」にもなれば、有用な「利器」にもなる、などという陳腐な結論は、いつの間にかはぐらかされる。そして最後まで印象に残るのは、「戦争」が個人それぞれが体験した分だけ存在していた、ということだ。
一方的な「正義」
カンボジア国境近くのベトナムの町ハーティエンで生まれたレは、カンボジアのポル・ポト侵攻から逃れ、10歳の時、一家で渡米した。インタビュー(聞き手、荒木夏実・森美術館キュレーター)で、そのときの思い出をこう語る。
「そこは人口500人ほどの小さな町でしたが、優しい人ばかりで、私たちの到着にあわせて家の準備をしてくれました。私たちが英語を覚えられるように、いろいろなものにその名前が書かれたカードをつけてくれました」