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【野口裕之の軍事情勢】第一次大戦、日本も欧州で闘っていた…日本人従軍看護婦の活躍 (2/5ページ)

2014.11.10 06:00

日中戦争の最中、万歳に送られて中国戦線に赴く従軍看護婦たち。その源流は第一次世界大戦時に欧州に派遣され、現地で激賞された「救護看護婦」だった=「明治100年の歴史」(講談社、提供写真)

日中戦争の最中、万歳に送られて中国戦線に赴く従軍看護婦たち。その源流は第一次世界大戦時に欧州に派遣され、現地で激賞された「救護看護婦」だった=「明治100年の歴史」(講談社、提供写真)【拡大】

 露仏英へ精鋭を派遣

 大日本帝國は大正3(1914)年9月、ロシア/フランス/英国の救護員派遣要請に閣議決定で応える。参戦半月後のことで、国際的地位を一層向上させるためにも、派遣を成功させなければならなかった。最新医療機材と大量の薬品を用意し、医長▽医員▽事務員▽通訳▽看護婦長・看護婦で救護班を編成。戦時救護訓練を受けた《救護看護婦》は日赤本社や道府県支部別に技量/肉体強健/人格/一定の語学力を基準に厳選された。救護看護婦とは日赤用語で第一次大戦後、帝國陸軍が一般看護婦を採用して以来呼ばれ始める《従軍看護婦》と実態は同じだ。

 早くも翌月ロシアに向かう。4週間近くシベリア鉄道に揺られ現在のサンクトペテルブルクに着く。救護班総数20名(内看護婦13名)で、社交倶楽部、後に貴族の別邸に戦時病院・日赤救護班病院を開設。延べ4万3600名の患者を診る。

 2カ月近く遅れて、フランスに29名(同23名)が、船で横浜を出発し、スエズ運河経由でマルセイユ→パリに50日も掛かって到着。凱旋門にほど近い一流ホテルを戦時病院・日赤病院として借り上げ、延べ5万4900名の患者と向き合う。

「戦時病院の模範」と激賞

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