基地では特別にミュージアムなども案内され、かつて大ヒットした歌謡曲「岩壁の母」(1954年、テイチク発売)に歌われた母親が帰還船が到着するたびに6年以上も息子を迎えに出て、会えぬままに死去したというその「息子」は、上海で結婚し医者になっていたという、関係者には「知られた」エピソードを紹介された。そして、何よりも海自の退院たちが、真摯(しんし)に国防を担っている現場の一端を知ることができた。
石垣では、中国漁船との衝突で一躍有名になった海上保安庁の警備艇が3隻係留されていた。乗員らが整備などを行っていたが、気楽に話にも応じてくれた。
石垣市では、先に行われた市長選で、自民・公明の与党が押す候補者が勝ち、与党候補が敗れ、基地移設反対派の候補が勝った沖縄本島の名護市長選とは、逆の結果になった。石垣には米軍基地がなく、市長選でも基地問題は争点にならなかった。尖閣諸島がどこにあるかを地図上で正確に示せる人も少ないという。
八重山防衛協会の三木巌会長は、石垣市を中心とした八重山地区で、地元住民への防衛問題に関する啓発活動に取り組んでいる。石垣ケーブルTVの保田伸幸社長と報道担当の満田昌男ディレクターとも懇談したが、観光産業や漁業者を除けば、農家が多い地元では、米軍基地問題にも、尖閣問題にもあまり関心はないということだった。