大災害だけでなく、五輪など社会的関心が大きい出来事について、メディアが「感動」を売り物にし、視聴者もそれを好むことは、前回の本欄でも指摘した。
そうした「ヒューマンインタレスト(人間的興味)」をビジネスにしようとする者が出てくることも、現代の「超資本主義」(経済学者、ロバート・ライシュ氏の造語)では自然である。
今回の映画で指摘された過剰演出は、当該ラジオ局の電波が届かない仮設住宅に暮らす70代女性を、放送を聴いて励まされている被災者として取り上げたもの。実際にはスタッフが放送の録音CDとラジカセを渡し聞いてもらったという。
「事実でないことを事実のように思わせる情報提供」は、「やらせ」にほかならない。3年目を迎えた東日本大震災を題材にした番組は数え切れないほど作られたが、いずれも根幹部分は事実を基にしていた。俳優が演じる場合も、「ドキュ・ドラマ(実話をドラマ化したもの)」として宣伝された。ところが、今回の映画は被災者がラジオを聞いていたという根幹が嘘だったのだから、「ドキュメンタリー」では断じてないし、社会の幸せを増進させるというメディアの使命にも反する。